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大善人へ身魂磨き

如意尼

如意尼は26歳で仏門にはいり、そして空海の教えを受けながら33歳で逝去されます。尼の亡くなった翌日に空海も天に召されたそうです。


如意尼について調べていると、とても興味を持ちました。空海との子弟関係の強さもそうですが、彼女の生き方がとても魅力的に思えました。


まだ、如意尼が海部厳子様だった時、京都の頂法寺六角堂で如意輪観音像に出会ったことで仏門に惹かれていきます。この像は、淡路島に流れ着いたものを聖徳太子が祀ったものだそうです。


如意輪観音への特別な思いは空海さんに自分に似せた如意輪観音を彫らせたことからもわかります。空海さんも、如意尼のもつ宝珠に助けられており、凄い霊力を持つもの同士が惹かれあったのだと思います。


海部厳子様は、とても美しい方だったようです。みそめられ淳和天皇の妃となって眞名井御前となった後も仏門への思いを断ち切ることは出来ませんでした。


眞名井御前は山にこもって信仰生活を送ることを夢見ます。ある日、白い龍に乗った天女の啓示を受けます。二人の侍女(和気清麻呂の娘)とともに摂津の「如意摩尼山」に登ると、山の天女が出迎え、この山に宝珠が隠されていることをつげます。


当時、女性が山に入ることは禁忌でした。日本各地の霊山には、入山した女を石に変える比丘尼石逸話がありました。


しかし、彼女は空海の助けを得て六甲山を荒らす八面八臂の「麁乱神」を服従させたり、男まさりな性格だったのかなとも想像します。平安時代のジャンヌダルクみたいではないですか!


神呪寺は、淳和天皇の支援のもと建立されます。宮中から逃げ、自分の元を離れたがっている女性の願いを叶える淳和天皇は、本当に眞名井御前を愛していたんですね。






また、如意尼はその当時の多くの女性が考えた幸せを捨てて、自分の心の声に正直に生き、自分の幸せを見つけた点は素敵です。平安時代に天皇の寵愛を一身に受けながらも、仏門に身を投じた如意尼という女性は、時代の常識の枠から飛びだした御方だと思います。


平安時代の宮中は、妃となり寵愛を受け皇太子を産む事、それが最高の女の幸せであり、一族の幸せだったのではと空想します。しかし、宮中の女性の常識に違和感を持ち、そこから飛び出して自分のいるべき場所を開拓したのです。楽な道では無いはずです。


今でも時代の常識はそこにいる多くの人や、時にマスコミによって作られます。それが本当に正しいのかなと時代を超えて振り返ると沢山の過ちもあるし、場所が変わると全くそっちがヘンテコな事もあります。


私は歴史が好きで、日本だけでなくたまに韓国や中国の宮中ドラマなんかをみるのですが、私から見たらしょうもない(失礼)王様が踏ん反りかえって偉そうにしてします。そんな王様の寵愛をうけるため、女のバトルや嫉妬の嵐の渦が繰り広げられます。


冷静にドラマを見ると、なんだかしょうもない人や地位、身分に振り回されて気の毒で可哀想だなぁ、なんて客観的に見えるんですが、まぁ、ふと、自分を客観的に見ると同じようにしょうもない事にプンスカしたりしているもんです。俯瞰して観るのは凄く大切ですね。人の事はよく見えますが、自分の事は冷静に見えてないもんです。


だれの心にも内なる神様がいますから、その神様の声は、多分、時代の常識の歪みや、今いる場所や人の歪みがあったら何となく気づかせてくれていると思います。心の声に正直に生きたいです。


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