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大善人へ身魂磨き

鯰について パート2

天津神タケミカヅチ神が、国津神タケミナカタ神と相撲をとり、タケミナカタ神は負けて諏訪に行く話があります。

伝承ではその折に大鯰が現れて、タケミナカタ神を背に乗せて対岸まで渡したとされています。


それ故、信濃には、国譲りに納得せずに相撲をして力で負けてしまった大国主命の息子タケミナカタ神は諏訪大社にいます。タケミナカタ神は相撲の神様で、ご眷属は鯰です。


国譲りを怒っていたと思います。神事の相撲は、輪のなかに塩をまき(清め)四股を踏み(邪気を踏む)と言われています。心を清め正々堂々裸一貫で戦うのです。武器がない潔い戦いです。




ところで、力相撲に勝ち鯰を踏みつけた神様が、鹿島神宮にいるタケミカヅチ神です。


鹿島神宮



タケミカヅチ神をお祀りする鹿島神宮には、大鯰(地震)を抑える要石がありました。


鹿は、タケミカヅチ神のお祀りされています鹿島神宮のご眷属です。



鹿島神宮には沢山の生きた鹿もいました。

この鯰と鹿に関して、古代エジプトや旧約聖書の話しと、諏訪大社にのこる神事について書いてみたいと思います。

以前、古代のエジプトの神様が気になり調べていました。そのエジプトにナルメルという御方がおり、ナルメルの名の意味は「荒れ狂うナマズ」、怒る、苦しむ、悪い、脅かす、刺すという意味があるようです。ナルメルは、紀元前31西紀のエジプト第一王朝の創始者のようで、メネスと同一人物とも言われています。年代は物凄い昔です。。




ナマズには、地中に長く潜んで、雨が降って沼になるまで待つという話があるようですが、水を感じて動き出すナマズは、まさに再生復活の象徴だと考えられていたようです。

ナイル川のヌンの神 は最初の一滴の水の神 でしたが、そこに生命が住めるようになるまで待ったのがナマズであり、初代エジプト王、ナルメルなのかなと思いました。


ところで、ナマズをご眷属神とするタケミナカタ神を祀る信濃の諏訪大社は、神事に鹿の首を75頭も捧げるものがあるようです。




今は剥製のようです、、が、、この神事は特殊神饌として昔は七十五頭の鹿が献じられたこともあり、中に必ず耳の裂けた鹿があって高野の「耳裂鹿」(ミサクチ)と言われています。

この神事の名前、ミサクチ神事。耳+裂+鹿。。少し怖いですね。
信濃は精霊信仰として、ミシャクジ信仰もあるようです。以前紹介した時はわかりませんでしたが、この響きから、旧約聖書との関係、アブラハムが生贄としてイサクを差し出そうとした話しと繋げると、言葉の響きから、「御+イサク+血」かもしれません。

守屋山は諏訪市にある山ですが、妻と長年不妊でやっと授かった愛すべき一人息子イサクをアブラハムが生贄に捧げようとしたのもモリヤ山です。サク(佐久)という地名も信濃にはあります。


アブラハムがイサクに剣をつこうとした瞬間、神に許されて茂みに角を絡ませた雄羊がいたので、彼はそれをイサクの代わりに神に捧げたとあります。






信仰の強さをはかられ、アブラハムはこの試練を乗り越えたことにより、模範的な信仰者としてユダヤ教徒キリスト教徒、並びにイスラム教徒によって讃えられたとされているようです。

この話しは、イスラエル民族人身御供の習慣を絶たせるためになされた試練という解釈もあるようです。




羊は、吉祥や、善の漢字の一部にもなっています。神と繋がります。

諏訪大社の神事は羊ではなく鹿ですが、聖書では、鹿も羊もどちらも神の使いであり、また、角があります。そもそも、羊は百済からもたらされるまでもとは日本にいなかったですし。

鹿も聖書のお言葉にでてきます。

鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。わたしの魂はあなたを慕いあえぎます。

鹿は喉が渇いたら感覚を研ぎ澄ませ水を探し出すそうです。主に対する飢え渇きを潤すべく、鹿のように神を求めなさいということでしょうか。





もののけ姫より





つづく
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