キリスト教では、神は愛といいます。
私はクリスチャンでは無いけれど良い言葉ですね。
愛が試されるとき目の前の全ての苦しみをきちんと見て、苦しみの原因を深く辿る道を余儀なくされます。
原因があり結果があるのでしょう。
ただ、その原因は過去だから、今原因がわかったとしても、わからなくても変える事は出来ないです。
また、今起こる結果は昇華の過程とも言えそうです。
霧散していつかは消えます。
もがかないでも、もがいても消えます。それなら、もがかないで、冷静にいる方が傷が少なくてすむのかもしれません。
そんな時は苦しいですけど、一日一日逃げないできちんと受け止め歩むだけです。
神様がもう大丈夫というまで。
愛が満ちたよと染み込んでわかるまで。