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大善人へ身魂磨き

入学試験

娘が入試を受けるような年齢の歳になって、自分の入学試験について考えはじめるとは遅いかもですが、今日は入学試験について書きます。


私は今から入学試験を意識して生きようと思ってます。いつまでかはわからないけど、かなり最難関で、何度も何度も失敗してきた試験だと思っています。すごい長丁場になるかもだけど、今までも実はボケーっと受けていました。




終わりは、まぁ、あと長くて50年かもしれないし、はいやめ!っと直ぐくるかも。試験だけど「学」の勉強ではなくて、必要とされるのは「素=ス」。


これは、私の死生観につながります。死生観を持っている人もいれば、いない人もいると思いますが、私は、自分なりの死生観があり、だから、死はあまり怖くないですが、まだ生きたいし、生きなければとも思います。そして、大切な人にも長く生きてもらいたいと思います。


「死」はこの世の「卒業」ではあるけれど、「終わり」ではなく、この世のものや金、また地位とか権力等の重苦しい鎧のようなものはすべて脱ぎ捨てて、素の自分(心)だけがあらわになる世界へ移行(入学)するのだと思っています。彼方の世界にいくまで、この世では眠りながら(試験最中と気づけないまま)生かされているのかも。




命が与えられている事は、最期の審判が下るまでの試験を受けさせて貰える時間を頂けているとも感じ、感謝してこれから残りの時間は大切に時間を使っていこうと思います。


生きている時に自分の内にいた内神様が、亡くなると御魂から離れて冷静(霊正)にチェックするから、逃げられません。


言い訳なんか言えるはずない、だってお見通しだから。御魂が目玉になって!?(笑)悪い事ばかりしてたら、閻魔様の形相でみるから、本当に忘れていても悪いことしてたら、ごめんなさいと心底謝りたくなるし、悪いことされたと思っても、腹をたてた自分の愚かさを見せられて、またごめんなさいと恥ずかしくなるのかも。




いつ死ぬかなんてわからないし、命には誰も終わりがくるから、その時がきた時に自分が少しでも善い人間でいたい。閻魔様に、最後は笑ってもらいたい。


大善人。ブログタイトルにもつけました。夢で見せられたこの漢字。なぜ、漢字だけ夢でみたのかはわからないけど、自分の振り子が悪い方に向かう時だったから気をつけろと途中で言われたと厳粛に反省して、死ぬ時までずっと追い求めていきたい。


自分の中の悪い部分、我を小さく小さくして生きていきたい。善いところを大きく大きくしていきたい。


内神様に合えるように、最期のをして、あちらに逝く時まで、活き活きと、自分の人生を歩いて行きながら、生きたいと思います。


【画像は入学試験、閻魔大王検索画像より】

コメント一覧

あき
鬼雷さん こんばんは

大善人にはそのような意味があったのですね。益々、身魂を磨かないとです。がんばります!

あと、かむながら、たまちはへませ、調べました。凄いお言葉ですね。覚えて唱えたいと思いました。

この和歌は鬼雷さんのものだとすると、凄いですね!ブログでたまに詠まれている和歌も素晴らしく、住吉神も和歌がお上手とのことだったので、魂の縁なのかなぁと思っていました。

いつも色々教えていただきありがとうございます。
鬼雷
善に固執する。小善とは見せ掛け。大善とは、人の本性の発露。

大善人への身魂磨き。

かむながら、たまちはへませ、み心の、神に仕えし、身魂なるかな。
鬼雷
大善人への道。

「誠は、天の道なり。

これを誠にするは、人の道なり。

誠は勉めずして、中(あた)り、思わずして得、従容として、道に中(あた)る。

聖人なり。

これを誠にするは、善を撰んでこれを固執する者なり。」
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