酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

坂道 (その4 菊坂)

2006年04月11日 | 坂道
天気予報では 夕方から強い雨が降るという11日

午前中 所用で水道橋へ出かけました

その帰りに寄ったのが ここ本郷4丁目の「菊坂」です




「御府内備考」によると ”このへん一円に菊畑があり 菊の花を作るものが多かった

そのため 坂の名を菊坂と唱え 坂上の方を菊坂台町 坂下の方を菊坂町と唱えた”とあります


現在の 「菊坂町」です




都心の文京区とは思えない 下町の風情です



最近 とみに少なくなってきた銭湯 「菊水湯」も健在です


菊坂といえば 樋口一葉が思い出されます

一葉が 父の死後 母と妹の3人家族の戸主として 菊坂下通りに移り住んだのは

明治23年(1890)でした

兄との折り合いが悪くなり 兄の家から移ってきたとき 一葉は18歳でした



はじめは 旧菊坂町七十番地(現本郷4丁目31)で 後に同六十九番地(現同30番)に移っています





ここが 住居跡です

井戸をはさんで 右側が旧七十番地 左側が旧六十九番地です

教育委員会の 表示がありました



一葉も使用したであろう「堀抜井戸」です



震災用の飲料水としても 行政の指定を受けているそうです

一葉を愛する 地元の人たちの熱意を感じますね


一葉は 一家の戸主として 針仕事や洗い張りをして生活を立てながら「闇桜」などの小説を書きました

しかし 生活は苦しかったようです

”この夜さらに 伊勢屋(質屋)のもとに走りて 預けおきたるを出し ふたたび 売りに出さんとするなど いともあわただし” ( 一葉日記・竜泉寺町への移転の準備より・・)

一葉の日記にあった 質屋の「伊勢屋」です

土蔵が 菊坂通りに現存してました



その後 物心両面に行き詰った一葉は 2年6ヵ月後に 下谷の竜泉寺へ引っ越して

行きます


ここまできたら つぎは下谷の「一葉記念館」です

「一葉追っ駆けオヤジ」になります 

理由のひとつは 最近どうも「福沢諭吉」さんはじめ「樋口一葉」さんが 落ち着

きなく 私の懐から去っていきます

せめて 一葉さんを追っ駆けます        








やさい通信  その3

2006年04月09日 | 無農薬野菜作り
桜も散り始めた4月9日です  日曜日です

少し風の強い日でしたが 好天に恵まれました



ここは このブログを紹介してくれたHさんが代表を勤める キアゲハ大作戦などで

みなさまお馴みの「足立グリーン・プロジェクト」です



野菜ばかりでなく チューリップをはじめ 春の花々が咲き揃いました


そして今日 きれいに咲き誇る花を背景にして NHKテレビ番組の収録がありました



題して「野菜通信」です 昨年8月に 畑の師匠Yさんが出演した番組です

足立グリーン・プロジェクトは 環境問題をわかりやすい取り組み方で 展開している市井のチームです

周辺住民の方々が 生ゴミを持ち寄り畑の肥料に活用します

みなさんの ひとりひとりは 区画割りした「自分の畑」のオーナーです

 


既に ベテランの域に達した(?)T子さんと 初心者のSさん

T子さんは この日のために赤いエプロンを新調しました

Sさんは リハーサルの繰り返しで多少お疲れ気味です(笑)



             入念な 打ち合わせです  陣笠のMさん



              みなさんの作業風景の撮影です


この「畑」では 野菜作りの「疑問点」を質問する場面の収録が目的でした

N区在住のベテランSさんが回答をしてくださいます 

そして な な なんと私にまでインタビューの機会を与えていただきました!

代表者Hさんの特別な計らいでした

    
    

研修講師とは 大違い

アガリっ放なしで 鼻水は出るは 如雨露を持つ手は震えるはの緊張だらけでした

立場が変わると 人間 こうも違うものかと痛感

改めて 研修受講者の気持ちに思いを馳せるオヤジでした


そして 最後は全員集合しての記念撮影でした



プロデューサーの方の「笑って 笑って」の声

みなさん 本当に愉快そうに笑っていました

放送日は4月30日 午前6時15分 総合テレビ

再放送は5月5日 正午 教育テレビだそうです

私の部分はカットの可能性もありますが ご覧いただければ幸いです


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この流れる写真のように 人生の動きと流れ そして 奇縁を感じます

畑の師匠のYさん そしてブログの師匠のHさん

今回「やさい通信」で ものの見事に連携しました

人との繋がりの不思議さです

これからも 人との関係は大事に育てていきたいものですね

きっと 思わぬ楽しいことが 待ち受けていることでしょう




追記です

ブログの師匠Hさん  「森の語り部たち」で ご紹介しましたが NHK総合テレビで紹介されます

こちらは 4月14日 午前11時の「一都六県」という番組です

関東地方だけの放送になるのでしょうか

こちらも ご覧いただければ嬉しいです






           

                  





1年生!

2006年04月08日 | オヤジのつぶやき
下の孫が 小学生になりました

男の子です

真新しいランドセルも買ってもらいました

入学式の6日

蝶ネクタイ姿で 帰ってくるなり「緊張した~」

緊張? 言うことが 我々の時代とチョト違います

そして キンチョーしたわりには 早速 姉と「どらえもん」

例の パソコンです

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 厳しい冬を乗り越えた 畑の玉葱とキャベツです

 願わくば ふたりとも何事にも耐えて育ってほしいと願う じ~じとば~ば

                  でした


              入学式


       カープも冬の時代  耐えてほしいものです


              ハリセンロボット


85万人の旅立ち  ブログ型?

2006年04月06日 | コミュニケーション


桜の花が咲く4月

今年も 新しい社会人の巣立ちが始りました

その数 全国で85万人といわれています

この日は K県市町村職員の新任研修でした


最近の傾向は 新卒者だけでなく すでに社会人を経験した中途採用者が多くなっ

てきました

これはいい傾向です

新卒者には 彼らはいい先輩に相当します

また 先輩たちは後輩たちの 新鮮な感覚に触れることになります

この日の研修も お互いが刺激しあって いい相乗効果が現れました



”挨拶 お辞儀”は人間関係の基本中の基本です

真剣に 取り組んでもらいます



住民対応 「難事例」 にも 智恵を出し合って解決の糸口を模索します

若い人たちなりの 解決策  ユニークなものもありました

それでも”初心者マーク”としては まずまずの解決策が披露されました


ところで 今年の新入社員を評して「ブログ型」と命名した人がいました

曰く・・「面と向かっては ほとんどものを言わない ( PCなら言える?)  

横のつながりには強い 言いたいことは すぐに仲間に発信 同調を求める」

このような意味合いだったと思います 


なにか妙なイメージを感じたのは 私だけでしょうか

そこで 講師として研修の最後に言いました

 「君たちはブログ型と称するそうです ( ほとんどがキョトン ) 

 ブログをやってる人 手を挙げてください (4人が手をあげました)

 ブログにはコメント欄があるよね 自分の記事が誉められたり 共感されると

 嬉しいものです  また 相手のブログを見て なにかいいところ 共鳴する

 ところを探す努力をするでしょう? (4人がうなづきます)

 それですよ ブログをやっている人たちは 相手のよい点を見つけ出すことに

 長けています これからの社会人生活 この長所を生かしていこう!」


職場には 実に様々な先輩が待っています

中には 気に入らない人間もいることでしょう

しかし 若い彼らは 人間関係つくりの達人になる要素がありますね


なにしろ相手の「長所 よいところ」を見出せる その名も「ブログ型」です


これから しばらく新人研修が続きます

ブログ型を 多いに奨励していきます

先生


それにしても カープの調子が悪いですね
                                                  

    




千両 2号

2006年04月04日 | 無農薬野菜作り


なす(千両2号)の接木に精をだすYさんです

4月末の販売に向けて いまが一番忙しいときを迎えています

このなすだけでも5000鉢 トマト スイカ きゅうり ピーマン等をあわせる

と2万鉢にもなります



なすの台木は トルバムです

ひとつひとつ ていねいに「接木クリップ」で接合します

なすにとっては「外科手術」を受けているようなものです



いま これらの「新生児」たちが ハウスの「ベッド」で静かに横たわっています

室温の最低18度  日中でも最高35度

湿度と水は 苗たちと相談して決めるというYさん

苗が大きくなって活着したら「鉢増し」の仕事があります


なすの翌日は トマトの鉢上げです



トマトも数千鉢作ります

この作業は スピードが勝負です

土をつかんで 苗の根をどの位置に どの位の深さに入れるか

微妙な呼吸は 経験しなければわかりません


消費者の目には入ってこない地道な努力の数々

Yさんの作った苗の人気は 毎年抜群です

何十年来の多くの顧客が 今か今かと待ち構えています

プロの方々も求めていきます

これらの苗は 4月末から一斉に販売活動に入ります


さて 私の畑です

じゃがいもの植え付けは 既に終了しました

2日間 管理機を使い 土と牛糞のブレンドも完了です

正直にいって 年毎にキツくなってきました



しかし これから なにを何処で作ろうか

都会では決して 味合うことの出来ない 収獲の喜びと 充実感

これがある限り やめられません

計画をたてる いまの時期が一番楽しい季節ですね

今年も いい野菜をつくります!






17歳バトン

2006年04月02日 | 自己紹介


          高2の11月 箱根十国峠

ちょびママさんから受けた「17歳バトン」

半世紀も前のことなどで よく覚えていないこともあります

そこで 押入れからアルバムを引っ張りだしてきました

遠足(・・と言ってました)というのに 男子は学帽に詰襟

女子はセーラー服

先生はネクタイをしています

学帽の男子は まだ”丸刈り”でしたね  時代を感じます

中には 既に逝った学友もいます

戦後11年「もはや 戦後は終わった」といわれた昭和31年

写真を見ながら しばし 当時を思い出してみました


*17歳のときなにしてた?

マダムとは まだ知り合っていませんでした (当たり前だ・・の声あり)

人並みに 異性には多大な関心を寄せていました

この高校は 旧制の女子高で その比率1対3弱!

運動会の フォークダンスは女子同士で踊っていました

ところが 全然もてませんでしたね~ こんなにいるのに・・

相手が 頭が良すぎました(ひがむな・・の声あり)

写真部と バドミントン部に入ってましたが 2年で辞めています

この頃から 受験勉強の準備らしきものを始めたようです

神田の予備校に通ったりの 平々凡々な高校生活でした



勉強より熱中したのが「裕次郎映画」です

浅草日活にはよく行きました

このLP版を買ったのは 後のアルバイトで貯めたお金でです

高校時代は プレーヤーを買えず 専らラジオで覚えました

「狂った果実」「俺は待ってるぜ」「鷲と鷹」「明日は明日の風が吹く」・・・

”裕次郎”には癒されました

17歳=裕次郎でしょうね


*17歳でやり残したことは?

ちょびママさんは「ない!」と 心強く言い切っていました

私は そうですね

17歳と限らずに 若い頃 もう少し外国映画を見ておけば・・と思っています

時折 レンタルビデオを利用していますが 10代のころ見るのとでは だいぶ

感じが違うでしょうね 感性が異なります

残念なことです


*17歳に戻るとしたら?

この質問を 写真の私に問いかけてみました

「おい どうする?」

「いまのお前さんでいいよ オレがそっちに行きたいよ」

・・のようです

こんな感想は 昨年開かれた同窓会の面々は どう思っているんでしょうね

今度 みんなに会ったら聞いてみましょうか


*17歳に戻っていただく人

どなたでも よろしいですよ

会津のpochikoさんが やはり ちょびママさんからのバトンを受けられました



数時間でしたが 気分は「高校生」の私でした