Moments musicaux

Moments musicaux、楽興の時、すなわち音楽的瞬間。それを享受し、探求する日々の記録。

シューベルティアーデの奇跡

2017年01月29日 | コンサート


シューベルティアーデの奇跡

 僕らは遠い過去の音楽に生命を吹き込むとき、しばしば聴衆の顔ぶれに想いを馳せる。フランツ・シューベルトの場合、それはもっぱら気のおけない友人たちであった。シューベルティアーデと呼ばれる集いで、彼らはシューベルトの新作を聴き、ワインを片手に文学や芸術を語り合った。時には、ショーバーやマイヤーホーファーら仲間が綴った詩を歌曲にし、歌手フォーグルがそれを初演して大いに盛り上がった。親友シュパウンによれば、「友人たちのグループの中に何時間も留まっていることがシューベルトにとっては最大の喜び」で、「友人たちの喝采が彼にはいつでも最高に嬉しいものであったが、大衆の喝采は彼を感激させず、彼はそれを求めもしなかった」。
 美しいボーイ・ソプラノの持ち主だったシューベルト少年は、ウィーンの宮廷礼拝堂聖歌隊(ウィーン少年合唱団の前身)のオーディションに合格し、コンヴィクト(全寮制神学校)の奨学生として11歳から16歳の青春時代を過ごした。彼は聖歌隊でソプラノを歌い、学生オーケストラでセカンド・ヴァイオリンを弾いたが、寮生活の濃密な時間のなかで、仲間たちとのかけがえのない友情が生まれた。彼が父親と衝突して家を飛び出してからは、寛大な友人たちが次々と寝床と食事を提供し、時には五線紙を買い与えて彼の生活を支えた。最後の11年間に彼は16の家を転々としたが、そのほとんどが友人宅への居候だった。
 ひとは社会のなかで何らかの装いをまとって生きている。しかし、子どもから大人への階段を上ってゆく青春という束の間、僕らは熱に浮かされたような全能感に支配され、心の障壁なしに夢や煩悩を熱く語り合うことができる。シューベルティアーデの友人たちに支えられボヘミアン生活を謳歌していたシューベルトは、まさに「さすらい人」であり、永遠の青春を生きた人だった。そして、ひたすら自分の書きたい音楽を書いて、31歳で死んでしまった。
 シューベルトがさすらいを歌うとき、彼自身のさすらいと重なり合い、時に切なる疎外感や郷愁がひた寄せる。彼は本質的には孤独で、それゆえに友人たちのあたたかい輪に甘えようとしていたのかもしれない。シューベルトが恋を歌うとき、それは少年の初恋のようにピュアで、届かない憧れを歌っているように聴こえる。彼が想い続けた初恋の人テレーゼ・グロープは、17歳の時に教会に書いたミサ曲第1番ヘ長調のソプラノ・ソロを歌った歌姫だった。「今でも好きだし、あれ以来彼女以上の人は現れないんだ」(友人ヒュッテンブレンナーの回想より)。初恋をこじらせたもてないメガネ男子の諦念である。
「彼は非常に誠実で、率直で、策略を弄せず、親切で、感謝の心を持ち…」(シュパウン)「控えめであけっぴろげで子供っぽい…」(マイヤーホーファー)―友人たちの回想で語られるシューベルトの人物像は、彼の音楽そのものだ。それは、シューベルティアーデの友人たちの輪の中で、彼が無防備でいられたことを意味する。シューベルトの音楽には、畏まった装いもハッタリもない。彼のようなシャイな音楽青年に、こんなにもピュアでナチュラルな、ありのままの音楽を書かせた、シューベルティアーデという集いは、ひとつの奇跡だったと言っても過言ではないだろう。

内藤 晃
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