ランニングおやじの野望!

50歳を目前に突然走り始めた鈍足おやじランナーのトレーニング雑記です。

校内マラソン大会

2007-02-02 22:42:37 | その他の雑記
オヤジの思い出話が続いて、すまん。
学生時代、仙台での青春ランニングを思い出したら、高校時代の校内マラソン大会のことが浮かんできたので、もうひとつだけランニングにまつわる記憶から。

子ども時代にしみついた「運動無力感」により、小学校以来、体育が大のニガテ。運動会前の晩には、地震か台風で中止にならないかと真剣に願っていた。
高校になると、強圧的な体育教師への反発もあって態度まで最悪。体育教師のほうは赤点をつけたかっただろうが、そうすると進級できないので、進級できる範囲の最低評価(10段階で3) をいやいやつけていたようだ。

年に一度の校内マラソン大会(たしか12kmくらい) は、受験を控えた3年生を除く全員参加が義務づけられていた。
しぶしぶ走ったところ、意外にも真ん中あたりの順位でゴールした。
当然ビリのほう、いや最後まで走らないだろうと予想していたらしい体育教師は心底驚いた顔で近づいてきて、「おめえ、よく頑張ったなあ」と声をかけてくれた。その学期の体育には、珍しく10段階の5がついた。
長距離走にめっぽう強い3人がデッドヒートしたトップ争いは、スピードにまさるO君が優勝を飾った、と後で聞いた。

で、それから30年以上がたって、そのO君と思いがけず再会した。
05年10月に開催された岡山国体で、正式代表選手と一緒に市民ランナーが走れるハーフマラソンがあり、スタート地点に向かう途中でバッタリ会い、おたがいにビックリ。ワシを運動嫌いのガリ勉と思っていたO君は実に意外そうな表情である。

「おめえ、走ってるのか!? イメージ違うじゃん」
「ほうさ、人間変わるもんだよ」

聞くとO君は50歳を迎えてなお、1500mで5分を切るそう。さすが。
その時のハーフはワシがセカンドベストの1時間33分台でゴールしたものの、O君には追いつけず3分遅れ。

それから半年後、去年の地元・静岡駿府ハーフで再度いっしょにレースを走り、ワシは不調でベストよりも3分遅れだったもののO君はもっと不調だったようで、ラスト1kmあたり、駿府城の内掘沿いコースを周回するところでついに追いつき、先にゴールした。
校内マラソンの優勝者に30年以上かかって先着したけれど、おたがい不調とあっては喜べなかった。
今年3月の駿府ハーフでは真っ向勝負したいものである。なんちゃって。

朝、走休。体操のみ。
夜、プールへ。平・クロール各500m。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする