「見ぬ世の人を友として」 ~徒然草私論~

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(八) 十一年間の空白の後に

2006年01月21日 | 徒然草
 さて、安良岡説によれば、次の第三十三段との間には十一年間の歳月が横たわっているというのだ。
『徒然草』全体の底を流れているものは、やはり「無常観」ということになるだろうか。初期の文章は、どちらかといえば情緒的にそれを受けとめ、それがゆえに一層美しい文章を創り出しているといえるのかもしれない。
 しかし、兼好法師にあっても、「いきしに生死」の問題をより深く掘り下げてゆくためには、己の実人生を懸命に生き、歳の功を重ねていかなければならなかったにちがいない。十余年間の空白を破って再び筆を執ったとき、この文業に賭ける彼の決意は不動のものとなったのではなかったか。
 三十三段は、趣向をガラッと変えて、内裏造営にまつわる話。清涼殿の鬼の間おと殿上の間との仕切り壁に設けられた覗き窓に切り込みの部分があって、木で縁がしてあったのをほんとうは丸いだけで縁もないはずだと改めさせたというのだ。
 いわゆる「有職故実」に関わる話は、この後全編にわたって八十余り。二十一世紀に生きる私という読者からすれば、正直どうでもいいことであり、それよりなによりチンプンカンプンのことだらけ。スキップ読みしたくなるわけだが、兼好さん本人は大まじめ。どんな些細なことだろうが、良いものは良い、悪いものは悪いと鑑定を怠ることはない。細部にこだわる彼の執念には圧倒されてしまう。
 ある意味では、彼は復古主義者・伝統主義者のようである。永い年月を重ねることで初めて見えてくる物事の真贋の相。今風の流行にふり回される軽薄な輩に騙されてはならない。もしかすると、当時の京の都にあって、隋一の「目利き」としてのプライドがこういう事象をねばり強く記録しつづけさせたのかもしれない。
 これはたとえ難解でも手抜きして読み飛ばすわけにはいかない。
 私たちの読書会にはルールらしいルールはないが、不文律のように「簡単にわかってしまってはいけない。」という戒めがある。まさにこの種の文章に対する読者の姿勢として、さまざまな疑問や謎をまだまだ追究しつづけなければならないという課題は残されていくにちがいない。
 ともあれ、兼好法師の真贋を峻別せんとする「目利き」の鋭い眼光は、もちろん、「人間存在」そのものにも向けられていく。

(七)序段から再読

2006年01月11日 | 徒然草
 
もう一度、序段から読み直してみよう。
「つれづれなるままに」は、「ひまにまかせて」ということだから、まさに今の自分の境遇そのものということになる。隠者だの、世捨て人だの、遁世だのというけれど、現代の人間だったら、定年退職をすれば否応なくセンデー毎日を送ることを強いられるわけだ。岩波文庫の安良岡註では、「することもないものさびしさにまかせて」となっていて一入実感をそそられる。
 そこで「日くらし、硯にむかひて」筆を執るということになる。人によって趣味はさまざま、庭いじりをする人もあれば、ウォーキングを楽しむ人があってもいい。中に、なぜか机に向かい読み書きに熱中する、私のような人間もいるのだ。そして、ペンを執っているうちに、心の中にもさまざまなできごとや想いがとりとめもなく浮かんでくる。「心に移りゆくよしなし事」とはそういうことだろう。すると不思議に、表現者たるものは知らず知らずペンを走らせ、きりもなく言葉や文字を紡ぎ出さずにはいられなくなるのだ。「そこはかとなく」は通説は特に定まったこともなく、あてどもなく」だが、日ポの「際限もなく」と合わせてみると、質量ともに豊富になってゆく過程が見えてくる。
 さて、一番の問題は、自分の書いたものを読み返してみたときの何ともいいようのないあの感覚?…それを兼好法師は「あやしうこそものぐるほしけれ」と結んでいることだ。あたかも見ず知らずの人間の書いたものを読んでしまったかのように、奇妙な想いにとりつかれ、これは正気の沙汰ではないと断じているのだ。
 この序章は文字通り最初に書かれたものか、後から付け加えたものか、おそらくは永遠の謎といっていいだろう。序段だから『徒然草』という総体を規定しているにちがいないと窮屈に考えることもなかろうが、謙遜ととるにしても、「正気の沙汰ではない」と断定していることは、私には異様に思えてひっかからずにはいられない。
 とにかく第一段に入る。
「いでや、この世に生れては、願はしかるべき事こそ多かンめれ。」
 かくあってほしいこと、ほしくないことを挙げている。清少納言を引用しているくらいだから、法師の頭の隅には、最初から『枕草子』がちらついていたにちがいない。女性とちがって、男性だったから、あるいは世捨て人だったらこんなふうに思うんだよといいたげである。家柄にはじまって、容貌にもふれ、「ありたき事は、まことしき文の道、作文、和歌、管絃の道、また有職…」とつづき、最後に、「いたましうするものから(一応、迷惑そうに辞退しながら)下戸ならぬこそ、男はよけれ。」と言ってくれているのが、酒呑みにはまずありがたい。
 こうして改めて読み進めてゆくと、やはり名にたがわぬ名文だなあと感心せずにはいられない段が続く。
「あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん、世は定めなきこそいみじけれ」(第七段)
「飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば、時移り、事去り、楽しび、悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野らとなり、変らぬ住家は人改まりぬ。桃季もの言わねば誰とともにか昔を語らん…」(第二十五段)
 数行の短い文章に過ぎないのに、ハッとさせられる発見があったり、その真情のあまりに清らかなのに、しばし言葉を失うような読書体験ほど冥利に尽きるものはない。
 第三十一段・三十二段は満場一致で感無量に浸った場面である。
「雪のおもしろう降りたりし朝」用件をしたためた文を送った返事に、「今日の雪のことに一言もふれないような不粋な人の頼みごとなど聞いてやれるものですか。」と言われて相手の人となりに感心したという話。行換えの末尾の一言。「今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。」
 亡くなってみて、改めて知る人の情!
第三十二段では、月の美しい夜、訪れた家を辞去いたものの去り難く、物陰より見ていると、すぐには戸を閉めずに、しばらく月を眺める様子。まさかこちらに見られているとはご存知あるまい。女主人の日ごろの心がけあればこそと感心した話。こちらも「その人、ほどなく失せにけりと聞き侍りし。」で終わっている。
 現代の人間が忘れ果ててしまった美しい感性の持ち主。又、そのみずみずしい心をひそやかに受けとめる兼好法師のしなやかな精神。ほんの数行の文章でありながら、これほど清冽な読後感を残すことのできる喜びは久しく味わったことがない。