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男子バレー“プロデュース” 松平流、発想力で普及(産経新聞) - goo ニュース

2012-01-06 08:43:22 | ちょっと 『気になる』 はなし

男子バレー“プロデュース” 松平流、発想力で普及(産経新聞) - goo ニュース

『スポーツをいかに発展させるか。松平康隆氏の軌跡は、その手本だったといえる。 1964年の東京五輪後に全日本男子監督に就任した松平氏は、8年後の金メダルを目標にチームを組み上げていった。ソ連や東ドイツ(いずれも当時)などの世界トップより体格で劣る日本が金メダルを獲得するために必要なことを、持ち前の豊かな知識と発想力から具現化。大きな選手に体操選手さながらのアクロバティックなトレーニングを課すなどした独自の強化法や、時間差攻撃など世界に先駆け編み出した多様な戦術でチーム力を培った。 その発想力は、国民の応援を得られるよう全日本男子をプロデュースした点でも最大限に発揮された。 10~20代女性の人気を獲得するため、少女雑誌を対象に積極的にアピール。さらにターゲットを少年層に広げていった。 ミュンヘン五輪開催年の72年には、『ミュンヘンへの道』という番組企画をスポンサー付きでテレビ局に持ち込み、盛り上げを狙った。アニメと実写を組み合わせて選手たちを紹介し、五輪までの日数をカウントダウンする内容は斬新で、爆発的人気を獲得した。 当時小学生だった私も熱狂し、金メダル獲得は確実と思い込んでいたのだが、今思えばとてつもない賭けだったろう。「もし取れなかったらどうするつもりでしたか」。後に松平氏に聞くと、氏は笑って答えた。「そうなったら日本脱出ですよ」。退路を断ち、すべてを金メダル獲得に懸けた指導者の矜持(きょうじ)を感じた。 「バレーボール一筋に人生を終えられて非常に幸せでした。自分の人生でやりたいことは全部できましたし、思い残すことは何もない人生でした」。それが、日本のスポーツ史上でも傑出した指導者の最期の言葉だったという。(只木信昭)』

世界一を目指すには、常識はずれの練習しかなかった。常識の練習をしても、結局それを膨らませた結果しか得られない。今の日本に置き換えてみてもすごい考え方だ。スポーツの世界はどんな番狂わせがあるかわからない。チームスポーツの場合はなおさらだ。私も当時「ミューヘンへの道」を見た記憶がある。今の自分に置き換えてみることなどとてもできないが、明確な目標を持ち、それを他人に話し、皆から応援してもらう。退路を断つことで、選手一人ひとりが本気になる。そんな人生もあるかも知れない。政治の世界でも応用してもらいたい。

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