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菅改造内閣:環境問題の課題と責任(安井 至)

2010-09-21 18:36:56 | ちょっと 『気になる』 はなし
http://allatanys.jp/B001/UGC020001820100920COK00639.html

『このような未来を描くとき、過去のデータの解析などに基づく客観性も必要だが、これだけを根拠にした提案では受容されない。作業する側が、未来に対する国民の希望・期待、さらに変化なども対してどのような意思なのか、という感触を持っていることが必要不可欠である。

 すなわち、日本という国をどのような国にしたいのか、である。2050年時点で、労働というものがどのような形態になっていることが望ましいのか。どのぐらいの所得が必要なのか。トップ企業が総取りをするような経済なのか、それとも協調的経済なのか。海外との関係、特に移民はどのような状況が望ましいのか、などなどである。

 そして、もっとも重要なことが幸福感・満足感・達成感といった価値観である。2050年の時点で、幸福だという感覚はどのような場合に得られると考えるのか。物質的な満足がやはり重要なのか。それとも何か自由度のような精神的な要素が大切なのか。連帯感のようなものがやはり必須なのか。

 社会像の最後の選択は国民が行うことになるのだが、最近の傾向として、現実に近いレベルの問題が余りにも大きいためか、何が理想的な未来であるか、といった長期ビジョンに関わるような議論が減少しつつあるように思える。

 そのため、われわれWGの委員にとって、2050年にあり得る社会像を描くことが大変に困難になっている。』


私たちが未来にどのような絵を描くくのか?
2050年は後40年後の世界だ。
私たちは長く生きて100年、いずれにしても有限な生き物だ。

歴史に名前を刻んだ人も今はいない。
坂本竜馬も今は生きていない。
しかし竜馬が残した世界は現実の世界として存在する。

そうだ、私たち一人一人は有限だが
その生命の営みは連続している。
肉体は存在できなくても、その精神は生きる事が出来る。
政治家の皆さんも、自分たちが未来の世界に何ができるのか?
そのことを考えて仕事をしてほしい。

私たち一人、一人は小さな存在でも
日本人としては何か世の中の人のためになることを
出来るかも知れない。
持続可能な社会を残すことが一番価値がある事なのだろう。

中国の国土は産業優先の社会の中で
荒廃している。それはかつて日本が歩んだ道でもある。
しかし再び同じ間違いを犯すとすれば
人間も案外懲りない生命なのかも知れない。

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