創世記24章21節、「その間、僕は主がこのたびの目的をかなえてくださるかどうかを知ろうとして、黙って彼女を見つめていた。」とある。アブラハムの僕にとっては、いよいよその「とき」が来たという大事な「とき」であった。神がどうお答えに
なるのか、僕の願いどおりなのか、そうでないのか、つまり、彼女は「らくだにも飲ませてあげましょう」といって、その通りに成し遂げるのか、どうかであった。
その終わりまで、彼は黙ってその様子を見ていたという。心の中では、ほぼ間違いなく、初めのこの出来事から神の御心どおりである様子がそれとなく現れていたのであった。従って、この様子を見ている間、恐れ多くも、この出来事がまさに
神のお答えであることがはっきりして来たのであった。従って彼の心には、如何に語り掛けねばならないのか、次の言葉を考えていたのであろう。
22節である。「らくだが水を飲み終わると、重さ半シェケルの金の鼻輪一つと十シェケルの金の腕輪二つを取り出しながら、」という。「らくだが水を飲み終わると」、ここにいたって、「祈った」(12~14節)通りであったことを見届け、ここで彼女
の行動をじっと見て確認することが出来たのであった。
彼はすぐに彼女を確保すべき行動に出た。それはまず、出発のときから用意してきた大事な贈り物を荷物の中から取り出した。それらは高価なものであった。重さ半シェケルの「金の鼻輪一つと十シェケルの金の腕輪二つを取り出しなが
ら、」という。「金の鼻輪」にしても「金の腕輪二つ」にしてもわざわざ取り出しながら話しかけた。それらは、彼の話の言い出し、次の一言で、嫁と決定したときの贈り物であった。
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