日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

聖書研究

2015-05-25 22:45:20 | 大分中央ウィークリー

創世記21章9節である。「サラは、エジプトの女ハガルとアブラハムとの間に産まれた子イシマエルが、イサクをからかっているのを見て、」という。ここの「からかっている」は口語訳は「遊ぶ」、文語訳は「笑う」という言葉で表しているが、ヘブライ語は「メツァセーク」といって「支配する」という意味がある。この本文「からかっている」が適訳かもしれない。 

ここの資料E典であるが、サラが16章6節の資料J典のときと同じ感情を持続している。子を宿したとき、高ぶるハガルをサライ(後に17章15節で、名を「サラ」と改める)が追い出した。そのときから14~17年ぐらい経っているのに、今度はハガルの子イシマエルがわが子にとった態度が赦せない。奴隷に対する身分の違いであろう。 

10節である。「アブラハムに訴えた。『あの女とあの子を追い出してください。あの女の息子は、わたしの子イサクと同じ跡継ぎとなるべきではありません。』」という。「あの女」という呼び方には、あえて名前を呼びたくないというさげすみの感情が込められた呼び方である。原語は「ハ・アマーハゾート」、すなわち「あの(ハゾート) 奴隷の女(ハ・ハマー)」である。 

階級の違いではない。階級の違いを用いた人間としてのあらん限りの憎しみが込められている。人間であること自体の中に持っている、言うも恐ろしい憎しみの罪の実態、その根源である。自分自身の中のこの罪、他人の中のこの罪との闘いの方法はいろいろ、わたしたちの毎日の闘いである。


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