長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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高杉が襲撃した「三田尻海軍局」は住宅地の中orz

2011年04月18日 | ★幕末維新の長州
なんっっかもう、こないだからせっかく防府に行くので、三田尻の海軍局跡(御船蔵跡)を見ようと思うのに、なかなか行き着けず…。

やっと行ったら、思った以上に内陸だったーーッ
(記事の下のほうの地図見てください)





三田尻は、毛利家が防長二州に押し込められた関が原の直後の頃から、外に開いた港でした。
この御船蔵には、殿様の御座船をはじめ、藩の船が繋がれ、まわりには造船や船の修理に関わる技術者が住んでいたそうです。

しかし、ここを御船蔵にした直後から早くもまわりの干拓が進み、ここは少しずつ「内陸」に。

文久3年に御船蔵が海軍局と名を変えた頃には、もうここと海は水路で繋がってるだけという状態だったそうな。
今はさらにそれが進み(しかも一部しか残ってないので)、ただの干上がりかけた池状態
ここに、小型とはいえ洋式蒸気帆船が入ってたとか、想像もつきません。
でもあの石垣は当時もあった。当時を知ってる。


高杉晋作が、挙兵後にいきなりここを急襲。
虎の子の洋式軍艦、幕府にとられるよりはいいと、藩役人はあっさり引き渡してしまったらしい。



水路をくだり、海に近いあたり(ていうか、幕末はこのへんから海だったんじゃ?)は今こんな感じです。




そばには大燈台が!
文久年間に建てられたというので、三田尻を船で出入りした志士たちは皆これを見たことでしょう。



これって、内側の空洞をのぼって火をつけたりするみたい。すごw




この際なので、位置関係など。
(地図をクリックすると、大きいものが別窓で表示されます)



赤矢印・・・三田尻海軍局(御船倉)

桃矢印・・・大燈台
  
黄矢印・・・三田尻招賢閣(長州藩お茶屋)
 「三田尻招賢閣・長州藩お茶屋・英雲荘・・どれなんだっw」 で紹介済み。

青矢印・・・正福寺(奇兵隊本陣の一つ)
  「奇兵隊本陣跡 防府市正福寺」
で紹介済み。

水矢印・・・御楯隊調練場(桑山招魂場)
 ここは何度もいろんな記事にしてるので、お暇な方はブログ右上の検索窓に「桑山」と入れて、その右を「このブログ内で」にして、虫眼鏡マークをクリックしてください。

緑矢印・・・鞠生の松原
 「全軍集結地、鞠生の松原」 で紹介済み。
松原、つまり海岸線だった場所が今こんなに内陸です。





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