長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
★最初に【まず必読】をご覧下さい

「蘇生した白虎隊の少年が長州で養育されていた」

2012年10月29日 | ★その他歴史がらみ
タイトル通りですが、そう、先日
「楽しい作業 幕末維新漫画の文字チェック」
で紹介した「あずさ弓の如く」はその少年、飯沼貞吉の物語です。



飯沼貞吉が長州で養育された」という話は、その地元(山口県美祢市)で口伝されているのみで、文書としては残っていないと思っていました。
この話自体とてもマイナーで、私が苑場さんに聞かされたとき、「ん?それ聞いたことある」と思ったのは、一坂太郎さんの「長州奇兵隊 勝者の中の敗者たち」(中公文庫 2002年初版)に次のような話が載っていたからです。

「会津から来た15歳くらいの、サダさあと呼ばれる少年がいた。宴席で”お前も負けてきたんじゃから、呑め呑め”と言われると、顔色を変えて自刃しようとした」
この話は「平成9年に97歳の方から山口市の金本さんが聞き取りした」とありまして、私はこの金本さん(もう故人です)を知ってたもんで、読んだ時に特に印象に残ったのかもしれません。
金本さんにこの話をした97歳の方は、そのおばあさんが「サダ」を引き取った家の女中をしていて、この話を何度もしていたのだそうです。

一坂さんの本では、この話はここまで。
「サダ」が飯沼貞吉なのかもしれないし、違うかもしれない、という「山里に残る口伝」として取り上げられているだけです。


が。

ご子孫、飯沼一元氏が調べを進めていくうちに、これ(長州で養育)がまぎれもない事実だったことが判明。
けっこう、歴史的発見ですよね。

「あずさ弓の如く」は、そのお話です。
…っても私は上巻、戊辰戦争が終わったとこまでしか読んでないから(つか、まだ描かれてない)、詳しいことは知らず、わくわくして待っているところです。


ちなみに、作者の苑場さんはその地元美祢の出身。
しかもご先祖は諸隊の隊士の一員として禁門の変では会津と戦い、その後四境戦争で戦死されてます。
まれにネットで「長州大好き。新選組とか名前を聞くのも不愉快」とか「会津大好き、薩長死ね」とかって極端な人がいて驚きます。
が、苑場さんは私と同じく「いろいろな立場の人が、それぞれに命懸けで生きたんだから、どっちかだけが正しいとか美しいとかではないんじゃない?」的な考えの人で(だよね?)、ただ「不思議な縁を感じて、自分が描かなくてはと思った」って言ってました。


「あずさ弓の如く」(上巻)は11月中旬出版予定。
amazonでは12月よりの扱いになりそうだとのことです。


もうひとつね、この中にはほんとにびっくりの「歴史の通説をくつがえす」話があるんですよーーー。
作品のネタバレにはならないので、また書きます。
いずれにせよ、詳しくは作品を読んで欲しいです。




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1 コメント

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Unknown (スマイル)
2012-10-30 10:19:11
自分は、晋作が好きで長州から入り、新撰組も好きなので、内藤さん達のような考えだけど、やはり恨み辛みとゆーかあるんですね。
両者の信念がぶつかり合ったからこそ今があると思っているので、片側だけを尊重するのは悲しいかなと思ったりもします。
まだまだ歴史に興味をもって間もないので、実は長州も晋作が亡くなったところで知識も途絶えてたりします…(´;ω;`)
その後も知りたいので何かいー本とかないですかね?教えていただけたら嬉しいです。
あと、ピグで教えてもらった維新祭りできーこさんのTシャツ、無事に買えたんです(*^^*)
ご本人にはお会いできなかったんですが、教えていただいてありがとうございました☆
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