長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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咸臨副長、春山弁蔵の写真

2012年10月27日 | ★松岡磐吉・旧幕府海軍・箱館等
春山弁蔵の写真です。
春山は、慶応4年(明治元年)8月の榎本艦隊脱走時の、咸臨の副長でした。
嵐で航行不能になり、清水港にたどり着き、艦長が上陸した留守に新政府軍の攻撃を受けて戦死しました。




昨日「週刊朝日増刊 1975年3月25日号」てのを買ったんですよ。200円で。
これ、読者から募集した「わが家のこの1枚に見る日本百年」という特集号なんです。
有名無名にかかわらず、読者が「家に伝わる、時代を感じる写真」を編集部に貸し、それらの写真で構成されているのです。

その中にこれがあって、ものすごくびっくり。
(ちょうど、咸臨の本を読み返してたときだったので、マジびびったしw)

写真には、下のような解説がついています。

慶応元年
幕臣で咸臨丸副艦長の春山弁蔵です。
私の祖父でやはり幕臣だった平塚孝基が、維新後に内縁の妻とした春山はるの父に当たります。
弁蔵は慶応4年8月、榎本武揚らと江戸湾を脱出、蝦夷地に向かったが途中暴風雨にあい、
修理のため清水港に入港したところ、官軍軍艦3隻の襲撃を受け、力闘するも在艦守備の20余人全員戦死、
と家譜にあります。
弁蔵直系の子孫の方とは全く連絡がありませんが、おられるか。
(茨城県***市 平塚***さん)



37年前の1975年にこれを投稿した平塚さん、当時おいくつかわからないけど、年代的にひょっとしたらご存命でないかもしれません。
そうすると、次の世代のかたはこれが誰なのかわかって大切にしていらっしゃるだろうか?大丈夫よね。
いや、別に平塚さんのお宅に限らず、写真や文書や遺品などが、価値や意味が伝わっていなかったために失われていくってことも多いんだろうなあ。

なんかしんみりです。
そういうこと思うと、博物館とかに管理されてるものはちょっと安心だな…。
本当はご子孫が持ってるのが一番だと思うけど。


で、この写真自体、見ていると本当に面白い。
まだ和装に髷、二本差し。でも海軍は早くからズボンに似たものを履いてます。
艦上では靴だったんですが、この写真は白緒の草履。
いかにも海軍人らしく、懐中時計を持っているようで、鎖が見えます。
洋装に変わる直前の徳川海軍士官の出で立ちがリアルに伝わってきてうれしいです。
松岡磐吉もこういうかっこしてたんだろうなーーとか ←そこか。)

そして足元に地球儀!地球儀ですよー。
いいですねえ。


200円でめちゃくちゃいい本を買ってしまった。
他にも面白い写真満載でした。
願わくば、個人蔵の写真たちが今も残っていますように。





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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
写真について (森重和雄)
2012-10-31 16:02:30
この写真は一般の方はよくご存じないかもしれないけれど、古写真の本には掲載されています。
返信する
Unknown (内藤昶)
2012-10-31 19:13:43
森繁様
情報ありがとうございます。
そうですか、ネットでは検索しても出ないのでもったいないなーと思ってました。
春山さん直系のお宅にも伝わっているのかな。
返信する
Unknown (シシ子)
2012-11-01 21:50:38
戦国鍋のミュージックトゥナイトの、マンスリーピックアップの前のフリで、mihimaruGTの気分上々↑↑を文字って、咸臨丸GTの蒸気上々↑↑って言ってたっけな…!ウケません?!

すいません、くだらん話で!
でも、久々に咸臨丸の話出てきて、中学校の時に咸臨丸の本読んで勝海舟好きになった事とか思い出しました。

確かに、価値のある写真や文書がこの時代も日本のどこかに眠っていて、それが世の中に出ないでしまっているのかもしれませんね。

今回も楽しかった!
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