明鏡   

創作/活動を行う為の資金/募金の振込先 西日本シティ銀行 筑紫通り支店714 口座番号0544327  近藤明子

詩集「蜜蝋の花」

2021-04-13 23:54:16 | 詩小説
詩集「蜜蝋の花」を石風社から出版させたいただきました。

よろしかったら、読んでいただけると、ありがたいです。

石風社にご連絡されるか、私のこの日記に鍵付きのメッセージいただけるとありがたいです。
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阿蘇の草原に茅葺きの復活をさせるためのフォーラムと茅葺同志

2021-03-24 03:15:29 | 詩小説
草原の維持が人の手に委ねられているのは、先日、阿蘇の野焼きに参加させていただき、実感しているところであった。

野焼きして、自分の家の近くでも質のいい茅を自らの手で育てるというのが一つの目標でもあったが、阿蘇の広大な風景の中、地元の牧野組合の方などが、火を放ち、その火が落ち着いてきたところを、竹と蔓で作った火消棒で叩いて燻った火を消していく、地道な作業が続くのだ。

これを、毎年のようにしていくご苦労もさることながら、墨色に所々焼けていった草原を目の当たりにして、自然と生活のせめぎ合いのような、一つの境界線のような気がして、今まで見ていた阿蘇の景色とは、まるで違ってきていた。

あそこにあったであろう、燃え広がる炎と煙の残像が、生々しく、そこに立ち上がってくるようなのだ。


今回のフォーラムでは、色々な方々のお話がお聞きすることができた。

中でも、安藤先生の生活の中における循環型の茅葺のあり方のお話は、何一つ無駄のない腐ってもなお人にもそこにあるものにも溶け込んでいく茅の一生は、人の一生のようで、生きとし生けるものの姿のようで、囲炉裏によって生かされ燻されてこそ、生を全うできるような、生き残る最初で最後の術のようでもあることを再確認させていただいた。

上野先生は、万葉集から茅の歌を取り上げられて、語りと歌の違いについて、歌とは響かせてこそ、人やものにより伝わるカタチであることを指摘されていた。

隈研吾先生は、19世紀のアムステルダムにおけるリバイバル的な茅葺に立ち返ろうとする運動を紹介され、その時期におけるスペイン風邪の流行と、昨今のコロナの流行の共通性と指摘されていた。時代精神というものがあるとするならば、その時代が茅葺という、自然に溶け込む輪の中の一つの、たった一つの循環の象徴ともいうべきものとなり得るのだということ、茅葺は時代すら超えて、そこにあるもの、あったものなのだと改めて思いをはせることができた。

だから、作らずにはおれなかった、住まざるをえなかったようなもの。
少なくとも、そこにいた我々の中に里山のように、自分の中にある原風景のような、なくしそうで、なんとか踏みとどまって、そこにあるものを残していく、大きな一歩。手立てを持ち始めたのだと思わずにはおれなかった。茅を守ろうとされている政治家の方もおられるということは、その一つの流れであるようで、それはそれで、こころ強いことであると、率直に思えた。

国宝である青井阿蘇神社の宮司の方の、祭り的「場」の復活のお話、このフォーラム自体が現代の大きな「結」の形であるとする阿蘇国立公園の方のお話、家族や仲間と茅を刈り、茅葺も家族で受け継いでいる植田さんのお話、茅葺学会の上野さんの世界の茅葺の紹介、他の方々の草原を維持することの必要性についてのお話なども興味深く拝聴した。

「斎」でお世話になった杉岡さんともお会いできて、いつもの茅葺仲間と温泉につかり、ラーメンをかっくらいながら、これからの茅葺に思いをはせていた。

次の日、遠路はるばるやってこられた京都の中野親方と長野さん、山田さん、神戸の塩ざわさんをはじめ茅葺のレジェンドの方々とお会いできて、植田さんも後から参加され、建築を研究されているふみさん、大阪のよしを手掛けておられる堺さんたちのお話も伺うことができて幸せであった。GSの山本さんにも阿蘇の茅を育てていく希望をいつもいただいて、みなさんとのご縁に感謝しかない。
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「鴉の復讐」

2021-03-13 00:10:12 | 詩小説
鴉が駐車場にいた。
高速のサービスエリアでのことだった。
男が、鴉の後をつけるようにのろのろとトラックで追いかけ始めた。
鴉は最初、ほんの遊びのようについてくる車の前をひょいひょいとはね飛びながら先導する八咫烏のようであったが、その八咫烏を轢き殺さんばかりに加速し出した男のトラックの殺気を感じたのか、黒々とした羽を広げ、低空飛行しながら、道の向こうに飛んで行った。
男は、瞬きもせずに、鴉がさっきまでいた場所を見ていた。
男の中では、横たわる鴉が見えているかのように。

それから男は、高速を走り出した。
今日中に終わらせてしまわなければならない現場が待っているのだ。
鴉を追いかけている暇などないというように、何事もなかったのように、高速を走り続けた。

現場について、男は、足場を作り始めた。
玄関のところから始めた。
玄関の向こうの、仄暗い闇の中に、さっきの轢き損なった鴉が横たわっているような気がしながら。外壁の塗装のために、足場を作り続けた。
壁の周りを一回りしたら、このなんだかわからない息苦しさが少しだけ軽くなるような気がしていた。
男の中のどす黒いものをぐるりと囲いこむように。
金属のすかすかの結界を作るかのように。

あいつが。
あいつがいなければ、俺は自由になれる。
あの鴉を追いかけ回すように、あいつを追いかけ回し、首を、手を締め付け、殴り倒した。
昨日のこと。
あんまり、俺の心の内を言葉にしすぎるのだ。以心伝心のように、俺のやろうとすることを先回りして言うのだ。
気に入らねえ。全くもって、気に入らねえ。
別にわかっているなら、言葉にしなくてもいいものを。

男は、白目がちな目だまをギョロつかせながら、金属の足場を、一本の枝を集めては巣を作る鴉のように、一本、一本、蔕に噛ませながら、積み上げていった。

壁を黒く塗りつぶすのだ。
鴉とその影をも塗りつぶすように。
それとも、焼き杉の方が良かったか。
二、三メートルの杉の板を三つ角を合わせて、三角柱にしながら、荒縄で縛って固定いさせ、その筒状の中に、木くずや藁を突っ込んで、火をつけるのだ。それから、合わさった板と板の間に隙間を鎌で作り、風を送り、火をけしかけ、炎となり、そのうちを黒々と焼けただれるまで燃やし続けるのだ。
そうして、炎が筒の上から鎌首をもたげてきたところで、逆さ釣りにするように、その三角柱の中の炎が逆流して焼け具合が均等になるようにするのだ。
燃え尽きてしまわないように、ある程度燃えてきたら、今度は水攻めをするように、杉の板を近くを流れる小川の水につけて一気に冷ます。
湯気が出てくる。黒炭になり息絶える手前の板を救ったのか、手遅れなのかは、その後の表面を削る作業が教えてくれる。

ここは、天国ではなく、地獄のようだな。

しかし、焼かれながらも杉の板は、家の壁を生木のままよりも長く包み込んでくれる。
宇宙に浮かぶ星々が闇に包み込まれているように壁をぐるり黒々と包み込むのだ。
ねっとりとした鴉の黒々とした目のような油性塗料の黒か、干からびた鴉の羽のような焼けた炭の黒か、どっちみち、暗いのだ。

この冬の寒さのせいかもしれない。
男は思った。
流行り病のことを、毎日のように、テレビで垂れ流している。
今日何人、病気にかかった。
今日何人、死んだ。
不要不急の外出は控えましょう。
俺たちにとって、不要なことなど何もない。
不急のことはないにしろ。

真昼を知らせる音楽がなり始めた。
夕方の五時であったら、七つの子の歌がなるはずであったが、昼はやけに明るい音が鳴るのである。

お昼にしましょう。

あいつが声をかけてきた。
あいつが作った梅干しとおかかの握り飯だけでは腹が減るので、サービスエリアで、鶏めしを買っていた。
弁当の入った鞄を開けると、透明なプラスチックの箱があった。
鶏めしがなくなっていた。
なんども、やられていたのに、久しぶりに、油断していた。
あの鴉どもが、また、盗み喰いをしていたのだった。
上手に、チャックを開けて、ご丁寧にプラスチックの箱は残したままで、中身だけ、空洞にして、何もなかったのように、そこにあったのだ。

あいつは、自分で握った握り飯を頬張っている。
一つだけ俺に手渡しながら言った。

鴉が喰い散らかしたみたい。
鶏めしの中身が何もない。
鴉が鶏を食らうなんて。
共食いの一歩手前みたい。

別に。いつものことだから。

あの轢き損なった鴉の、魂のようなものの、一つの復讐のような気が、どこかでしながら、握り飯を頬張っていた。


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干潮とファンファーレ

2021-03-06 02:18:40 | 詩小説
干潮の時
わかめを取りに行った
腰まで浸からないとわかめは取れない
すぐそこにある黒くないひじきをひきちぎる

先っぽのひじきが柔らかいのだよ
すぐそばでわかめがりをしていたじいちゃんが言う
乾涸びる前のひじきは水で潤んだ草色で
波に飲み込まれては吐き出されていた

軽い砂浜の世界は乾いた世界で
風に吹かれて砂紋を描き
重い海底の砂の世界は湿った世界で
海の流れで砂紋を描き

軽い世界は楽しい
と友は言う
重い世界は苦しい
と人は言う

どこかでファンファーレが鳴っていたのだ
世界のおわりとはじまりのような
砂の重さと海の重さが釣り合った世界の
赤い太陽と黒い津波の10年前


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焼き杉

2021-02-18 00:43:49 | 詩小説
粉雪が降り出した
自分より少し大きくて
手のひらくらい幅を利かせた杉の板
三枚で三角柱にして荒縄でしばる
その三角形の空洞に
茅の袴を詰め込んで
火をつける
狼煙が上がると
火が駆けずり回り
内側だけがどす黒くただれていく
もう耐えられないと火がてっぺんから首を出すと
砂時計のように
上と下をひっくり返した火時計は
杉の記憶を黒く塗りつぶし
杉の板を生半殺しにした
老婆の肌のような土壁を
黒光りする鎧板となり
守るのだと
言い聞かせながら
冷水をぶっかけては
火あぶりとなった
魔女狩りの後に
また新しい三角柱の生贄を捧げるように
杉の板を焼き
焼き杉を作るのだった
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野焼き

2021-02-12 01:07:49 | 詩小説
野焼きボランティア講習に参加してきた。

阿蘇の牧野を守ってきた方々から学びたいのもあったが、我々の暮らす日田の前津江の里山も、これからまた野焼きできるようにしていきたい思いも強かった。

まっすぐでなりのいい茅が育ってくれるようになるとのこと。

火消棒を竹とかづらで作った。
竹の先を6分割して、その半分の3本にかづらを通し、ずらして、6本足の熊手状態に潰しながら、手前向こうと一本づつなみ縫いのように交互にかづらを通していく、端っこになるとくるりと踵を返してまた編んでいく作業を繰り返し、最後は、縦に三つか四つのなみ縫い状のものをキュッと止めるように2回ずつ巻きつけていく。

そうして、今度、一斉に、阿蘇の野焼きがあるときに、実際に野焼きをするときに、皆でバッサバサ叩いて火消をするのである。

それにしても、壮大な阿蘇の草千里を走る野焼きの火を見るのが、本当に楽しみである。
野焼きをすることで、牧野は保たれてきた。
その後に生えてくる牧草を食む牧牛をよく見かけるが、彼ら、彼女らは子孫を残すために放牧されているのだという。彼ら彼女ら自身は、食べられるのではなく、生み育てられるのだという。

牧野に放たれた自由を食む牛たちの上を、悠々と飛ぶ熊鷲も減ってきたというが、まだ、谷などの狩りやすいところでは見かけると、地元の牧牛を育てている方が、おっしゃっていた。

子供の頃から見ている生きとし生けるものの姿を、幼馴染の友人を見かけたように話されていた。
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鋏仕上げ

2021-02-09 00:07:44 | 詩小説
広島の三次の文化財の屋根を明石屋根工事さんとご一緒させていただき、仕上げ作業をさせていただいた。

多くの場合、九州の屋根においては突きものでたたき上げていくのであるが、今回は鋏で仕上げていった。

突きものの場合は、ある程度、カラスあるいはやっとこという茅や杉皮などを引っ張り出す道具で、引っ張り出して「なり」を整えることも、比較的、やりやすいと思われたが。

鋏仕上げの場合は、少しの鋏の入れ具合で徐々に勾配が変わっていき、カラスで引っ張り出したとしても、切り口がすでに鋭角になっているため、どこかちぐはぐになって、面が逆に揃いにくく、また刈りそろえることになる。
安定した鋏運びが必要となってくる。

いずれにせよ、棟と軒の上下、角と角の左右の通りを見ながら、美しい流れを作り続けていく地道な作業となる。

鋏を、休憩時間に研ぎ澄ませて、また、屋根に向かう職人の手と目と息遣いと熱が注がれていく屋根に、魂が込められていくようで、仕上げたそばから、長く息づいてくれるように、手で撫でさすっていくのだった。
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炭焼き

2021-01-26 11:26:17 | 詩小説
炭焼きを拝見した。

日田で炭焼きをする方々がもういなくなる寸前のところで、有志の方々が、踏ん張っておられるので、以前、明楽園の床下に炭を敷き詰め湿気取りと空気清浄を兼ねて、たくさん譲っていただいたご恩もあり、御手伝いがてら伺ったのであった。

ちょうど、庄屋サロンの平野さんご夫妻が我が明楽園に遊びに来てくださったので、ご一緒してくださった。

釜の中まで入って、拝見させたいただいた。
2メートルから2メートル弱ほどに切った木の枝や幹の丸い跡があった。
木が天井を支えながら、焼けていったのだ。
屋根になる土のドーム型の天井を作りながら、炭焼きもするという、昔の方々の知恵に圧倒される。
煙突と後で空気穴になる穴を塞いで、火を入れたのは、90歳にもなる最後の炭焼き職人的な方であったが、それを引き継いでいこうとしている中島さんはじめ若い方々もおられるようで、人の意思があるところ、そのものは、永らえるという、我々と同じ思いをされている仲間に出会えたようで、お互い助け合いながら、燃え尽きても、その後が残るまあるい天井のようになることをぼんやりと思いつつ、ニコニコと杉の葉っぱに火を入れた後、乾いた竹を膝でバンバンおりながら、火にくべている、まだまだお元気な好々爺然とした仙人のようなおじいちゃんを見ていた。

横で、高齢であろうが、しゃんとされた方が、チェンソーで、次の炭焼きの準備をされていたので、我々も、力仕事をさせていただいた。

「かし」は、重く、硬直した人を引きずっているようで、ちょっと、生生しいのであったが、その水気の重さが火を入れると、蒸気を煙突から吹き出すほど、抜けてくるという。

二日ほど経ったら、青い煙がのろしのように上がり、蒸気が抜けきって、本当の炭になっていく徴であるという。

青い狼煙を拝見しに、それから、炭が出来上がるまで、できる限り、見守りたいと思う。
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朝のヨガ

2021-01-26 10:54:28 | 詩小説
那珂川の茅葺屋根を葺かせていただいた游仙庵で、美奈子さんがヨガの講師をされているので、久しぶりに、お会いしがてら、朝からヨガをしに伺った。

家を出る時は、まだ真っ暗であったが、山を越えて、那珂川に着くと、辺りは明るくなっていた。

茅葺仲間と前からヨガをされていた方々と、ゆっくりと、体の隅々まで、美奈子さんに温かで優しい声をかけてもらいながら、緩やかに自分の体軀と対話をしながら、ほぐしほぐされていただいた。

呼吸と体の動きを感じながら、外にダダ漏れてしまっていた自意識が、静かに自分の中に戻っていくような、安らかな、時を超えた眠りの中に、たゆたうような。

それから、本当に、眠ってしまいながら、皆さん、その心地よさに身を委ねていた。

隣の万ちゃん親子さんも遊びに来て、お昼は、おっさんのようにホルモンを持参していたので囲炉裏でガンガン焼いていただいたが、以前、古茅をいただいた、藤森さんご夫婦も来られて、美味しいとれたてのお野菜を皆さんでいただいた。

ですとろいやーと言う赤いお芋、里芋は焼いて香ばしく、皮までサクサクとして、最高に美味しかったが、普段は、あまり食べないといっていた万ちゃんも、人参を生のままペロリといただいていた。

甘く、果物のように生でかじった人参は、最高のご馳走である。

それから、染物屋さんの「ふく」さんに皆さんで伺った。

茜色の茜の根っこを染色に使うとおっしゃっていた。
その茜の根っこを漆喰に塗り込んでも綺麗な色が出そうで、ベンガラ的な色になるのかお尋ねしたところ、また違った茜は茜そのものを入れ込んでのアクセントとしての色になるということであった。

今度、古民家の我が明楽園でも、使わせていただけたらと思った。

セイタカアワダチソウは、その姿のように多分ほのかな黄色、櫨もまた、黄色になると言うことだった。

ちょうど、その前に、石切り場跡地を開拓し、屋根材でいる木を保存しようと上村さんとチェンソーで木をぶった切っていたところ、櫨の木も紛れ込んでいて、その幹の芯が黄色だったので、きっと黄色になるのだろうとは思っていたが、木は、内に色を孕んでいるのだということに、はっとした。

それにしても、人は、煮詰めたら、何色に染まるのだろうか、きっと、赤に違いないなどとふくの染物家の方と話しながら、地獄の釜が開かない内に、彼女が染めた素敵な茜色の一歩手前の、夕焼ける前のほのかな淡い桜色の靴下を手に入れて、帰ったのだった。
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英彦山

2021-01-26 10:20:10 | 詩小説
英彦山に登った。
雪の残った道をアイゼンを靴につけて、岩の上の雪をがっしがっしとふみふみしながら登っていった。
雪に吸い取られた熱と微塵のなくなったマイナス零度の空と気は、美味しい水と同じ香りがする。

雪の残る山に登る前の参道沿いでは、彫刻家の知足先生のご実家も拝見できた。
修験道の流れをくむ御宅が連なる参道。
朝から木を切る人々がいた。
枯れていく木の手入れをされているようだった。
静かな石段を登り登りしていると、鹿が来るのだろうか、柵が所々見受けられた。
山の奥にも鹿ぞなくなることもなく、夜な夜なやってくる鹿のクーというような甲高い鳴き声を聞くことができるのは、柵の中であれ、幸いであるのかもしれない。
などと思いながら、さらに、石段と言うよりも石ころ、岩のゴツゴツと転がったままの姿の、自由奔放な道を這い上がり出した。

梵字岩という看板を見つけ、梵字岩を拝見しに横道に逸れていった。
せり出した大きな岩に三つほど、径がひとひろほどの円の中に、梵字が刻まれていた。
どうやって、足場を作って、あそこに、梵字を刻むことができたのだろうか。と話しながら、どうしても、彫らずにはいられない思いがそこにあったのだけは確かなのだろうと思いながら、元の道に戻っていった。

さらに奥まっていくように雪道が増していくと、滑り出し、万が一、転んだとしても、さほど痛くはないようなガチと固まっていない雪肌となっていった。

一時間ほど登った先に、大きな山の裂け目のようなものが目の前に現れた。

そこが、今回拝見したかった、凍った滝であった。
とけ始めていたのか、氷の礫が、時々、氷柱の先からこぼれおちた冷たい汗のように、重力のままに、転げ落ちながら、雪肌に砕け散っていった。

雪崩のように、圧で押し殺されることはなく、鋭い透明な一撃の氷柱の欠片は、水の凶器にもなる。

ロシアでは、年間、千人が氷柱でなくなるらしい。

と上村さんがいった。

透明な氷柱が、体を貫くということ。
痛みも凍るような、血も凍るような死を思った。

転がってきた、一片の氷柱の透明なかけらをつかみ、一口、囓った。

滝の、流れるままの岩肌をカチ割った時に立ち上る香りと味の塊を、体に取り込んでいるようだった。

お腹壊すよ。

と、言われながら、お腹の丈夫な、インドに行っても、壊さなかった腹の図太さに感謝しながら、美味しく、冷たい氷飴玉のように頂いた。

それから、鬼杉に会いに行った。

奈良時代から、生きていたというそれは、38メートルほどのところで、お辞儀するように折れてしまったというが、それでも、高く高く、すっくと立っていた。

美味しいコーヒーを入れていただいて、美味しいお弁当もありがたくいただいた。

近くに落ちていた、鬼杉の葉や枝をありがたく手に取り、うちの古民家の杉皮葺の屋根の中に一緒に時を同じくして、ずっと一緒にいてくれるように、大切に持ち帰った。













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吉野ヶ里の先生

2021-01-13 12:56:02 | 茅葺
吉野ヶ里でお世話になった川上先生が亡くなられた。

川上先生は、いつもニコニコとされていて、駆け出しだった私にも、分け隔てなく、気さくに話しかけてくださった。

吉野ヶ里の茅葺屋根の作りに関しては、先生は、少し跳ね上がった神社仏閣的軒の形をイメージされながらも、より古代的に、あまり美しく作り込み過ぎないようにも、考慮されていたのを思い出していた。

この遺跡の建築の一部始終を知るように、作り手から見た、その当時の建物への思いを繋げていけるように、そこで何があったか、そこで何が生まれたか、を知っておくこと、歴史的観点を持つことで、より建物への深い思いを持ちうることを、教えてくださった。

吉野ヶ里「楼観」からの報告(安本美典)という本を読んだのも、川上先生の言葉を実践することであった。

吉野ヶ里から、炭化した米粒が一つ見つかったり、豚の骨が見つかったりしたというのは漠然と知っていたが、大和朝廷への変遷に少なからず関わっていたのではないか、少なくとも寄り添っていたのではないか。と思われるものを、「楼観」から、高いところからの眺めを持ち得たものたちの残した、墓や、堀、茅葺の家々の集まる集落の規模の大きさや力から、うかがい知ることができる。


吉野ヶ里の時空を超えたところまで辿っていくように、今ここの自分にできることを、再度、確認するように。

川上先生のご冥福をお祈り申し上げます。

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お礼参り

2020-12-31 23:37:32 | 詩小説
お礼参りに伺った。
広島で茅葺のお屋根の葺き替えの仕事をさせたいただき、その後、京都の美山の中の親方にご挨拶に伺い、美しい美山の茅葺の里と美山の事務所を拝見させた頂いた。
この景色と生活をこれからも守っていけるように、働きかけておられるという。
ぜひ、我々も同志として、仲間として一緒に守っていきたいと心から思った。
それから、魚沼に伺った。
茅葺の職人の体験を茅葺の屋根の佐藤家の葺き替えに参加させたいただけたからこそ、今の自分があるとも言えるので、車中泊をしながら、伺った。
まだ、雪が降る前だったので、たどり着けたのだが、いつか、雪の降る魚沼にも伺いたいと思った。
お世話になった方々にお会いしたかったが、このご時世であったので、お世話になった宿のご夫婦にご挨拶できただけであったが、再び伺え、お礼参りが叶ったようで、原点に帰ったっようであった。
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リモートお茶会

2020-12-31 23:23:43 | 詩小説
リモートお茶会に伺った。
九州大学の知足先生が主催なさっていた。
遠くにありながら、近くにいった。
距離は、いつでも、なくなるということ。
美味しいお茶をいただきながら、最後の一滴まで。
ふるい落すように、そそぎ込むように。
心は、お茶をいただくことで、距離で濁さずとも、自由であるということ。
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石を運ぶ

2020-12-31 23:18:05 | 詩小説
石を運ぶ人々が暮らす村があるという。
それから、本を運ぶようにもなったという。
いずれも重いものであるにもかかわらず。
運び続けているうちに。
移動本屋となり、いつしか、本屋になっていったという。
石が意思となり石造りの家の中を意思の塊の本で満たされていく。
満ち満ちていく。
石が行き来る。
意思が行き来る。
石を運ぶ。
転がそうか。投げようか。
石を運ぶのだ。
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暗渠

2020-12-13 18:27:09 | 詩小説
暗渠の溝を掘ったのは、大雨の後だった。
あんまりに雨が降りすぎて、玄関まで庭の池の水が流れてきそうであったから、玄関前の犬走りの一歩前に溝を掘ってパイプに穴を無数に開けた暗渠を横たえたのだ。
黒い竜のように無数の穴がどこか鱗のような暗渠は、溝の中でおとなしく眠っていた。
あれからずいぶん時が経っていた。
今日、眠りから目覚めたように、池の水を流してくれるために、つなぎつなぎして、くの字になりながら、そこにあった。
暗渠の下に、寝床のような、あぜみちシートを敷き、水がより、暗渠を伝わり流れるようにした。
これで、龍神さまも怒りを鎮め、安らかにお眠りくださることを願っていた。
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