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お金とは何だ 21 債権と債務の均衡

2018-10-08 06:39:51 | お金とは何だ

祝日

世の中が均衡に向かうとすれば、権利と義務の量は均衡に向かわねばならない。債権と債務の量も均衡に向かわねばならない。

通常は、富には先に実体があって、その実体ある富を誰かに貸したときに債権が発生する。
私が持つ100万円に意味があるのは、世の中に100万円に相当する富が存在し、私はその100万円を使って、いつでもそれを買うことができるからである。
だから私がその100万円を銀行に預けたとき、私には100万円の債権が発生し、銀行には100万円の債務が発生する。私はこの100万円が銀行の金庫の中にあると信じている。これを解消するときは銀行は金庫の中の100万円を私に返せばいいことだから、債権と債務の量は均衡している。

ところが実際には銀行はその100万円を誰か別の人に貸し出している。この時、銀行には新たに100万円の債権が発生し、借りた人には新たに100万円の債務が発生する。しかしその債務の実体は存在しない。100万円を借りただけでは富は発生しない。借りた人の100万円の債務に相当する富はこれから発生させなければならない。そうでないと債権と債務の均衡がとれない。ここに強制力が働く。
借りた人は、返済のために働くことを強制される。つまり未来に富が発生することを強制される。

これを簡単に書くと、
①債権(100万) → ②債務(100万) → ③債権(100万) → ④債務(0)、
となり、
債権の量=200万
債務の量=100万
となって、債務の量が100万円不足する。
債権と債務が均衡しなければ社会の安定が保てないとするならば、これを均衡させるのは債務者の責任となる。債務者は返済期日までに、それに見合う利益を作り出さなければならない。

実はこのことは社会の裏側で起こっていることである。③と④の行為は秘密の裏社会での行為である。裏社会で社会の均衡を崩しかねないことが行われているのだ。
③の段階で、つまり銀行が人のお金を他人に貸し付けたときに、すでに世の中のお金の量は2倍にふくれあがっている。100万円の富しかない社会で、200万円のお金が発生しているのだから。この時、銀行はこの時社会の裏側で100万円のシニョリッジ(通貨発行益)を得ている。

④の債務者が100万円の返済をしなかったときには、100万円の富しか存在しない社会に対して、200万円のお金が存在することになる。この時には社会の均衡は崩れる。崩れてどうなるか。お金の量と物の値段は比例するから、お金の量が2倍になれば、物価も2倍に跳ね上がる。100万円で買えたものが200万円になる。こうやって社会のすべての人が損をする。つまり銀行が100万円のお金を裏社会で発行したことにより、人々の富が奪われたことになる。
このことは現代のインフレの構造と同じである。

ではなぜ、人のお金を借りてまで新しい利益を作り出そうとするのか。
ここで富と債権の順番が逆転する。
今まで、さきに富があってそのあとで債権が発生していたものが、さきに債権が発生し、その穴埋めをするために、あとで富が発生するようになる。
このことにより今までの構造が逆転する。
その最大の原因は、銀行によるお金の又貸しである。
銀行はこの時、
②100万円の債務を、
③一瞬で100万円の債権に変えている。
④そして次の瞬間に100万円の債務を発生させている。
これが、
①債権(100万) → ②債務(100万) → ③債権(100万) → ④債務(0)、
の意味である。
つまり、債務を債権に変えている。そして新たな債務者をつくっている。
このことによって、勝手にお金の量を2倍に増やしている。
しかし通貨発行権のない者がつくったお金はどんなお金でも偽金である。お金に色はつかないから、いかに違法なお金でも、社会に出れば何でも買えるし、お金としての機能を備えている。だからこの時のお金は論理上は、見分けのつかない本物そっくりの偽金と同じである。
頭の悪い金匠ならば、その偽金を使って私腹を肥やすに違いない。偽金で世の中の富を買い、贅沢な暮らしをしても分からないはずだ。

しかし彼らはそんなことはしなかった。その偽金を自分で使わずに、人に使わせたのである。相手には本物のお金だと信じ込ませて。これが新たな債権の発生と債務の発生である。
しかも借り手がその債務を返済すれば(100万円を返せば)、彼らの債権も消滅する。つまりお金の量は元に戻る。③と④は消える。つまりここで偽金は消える。
しかし、このことをより正確に言えば、銀行は偽金を貸して、本物のお金を返済させたのである。問題の深い謎はここにある。一般にこのことは「信用創造」と呼ばれている。実際の信用創造は、2倍どころではない。
銀行はこれを繰り返すのである。そしてそのたびに銀行は利息を取って収入を得る。

この行為が違法ではないかという論争はずっと続いた。つまり銀行は人のお金を「又貸し」している。これが違法ではないかという疑問は当初からあった。
しかし1848年、イギリスの裁判所は『銀行は預けられた預金を随意に処理する権利を有する』との判決を下した。そして「預金者にも謝礼(利子)を払えばいいではないか」と。
しかし事の本質はそんなところにあるのではない。これは預金者の利子の問題ではない。銀行によるお金の「又貸し」という行為そのものにある。銀行が貸した「偽金」の経済上の意味にある。このことには触れないまま、裁判所はその「偽金」の発行を認めた。
このことの根拠は分からない。多分に政治的なものであろう。
しかもこのことの経済的意味はもっと分からない。分からないまま認めてしまったと言っていいだろう。
だから中央銀行は今に至るまで、自分たちが作った金融システムを制御できないでいる。
そのことがどんな意味を持つのかはいまだ分からないのである。


銀行というシステムは、こうやって発生した新しい金融システムである。
銀行のもともとの形態は、金匠という金細工師たちで、金の保管業を兼業しているものに過ぎなかった。
それがなぜ人から預かった金を黙って貸し出すようになったのか。
そういうことが起こったのは、17世紀のロンドンである。
不況の17世紀といわれ、ピューリタン革命が起こるもの騒がせな時代である。
なぜ不況なのか。

1世紀前の16世紀は、好景気の時代であった。その反動である。
16世紀は、あふれるほどの銀があった。新大陸からもたらされた銀である。
今から見ると決して合法的なものではなく、新大陸のインディオたちの強制労働によってもたらされたものである。新大陸を征服したスペイン人は、彼らを強制労働に駆り立てて銀を掘らせ、その銀をヨーロッパに持ち込んだのである。
だからヨーロッパにはあふれるばかりのお金があった。
それが途絶えたのが17世紀である。

今度はお金が不足する。そのお金の不足を穴埋めする形で、ロンドンの金匠たちが、紙幣を発行したのである。しかしその紙幣が、16世紀の銀と違うのは、それをこっそり貸し出したということである。ここに何もないところから、新たにお金が発生する。しかも債権と債務が同時に発生することになる。

富の量が変わらない中で、新たに債権と債務が発生すれば、債権の量に見合うだけの新たな富を発生させなければならない。
そうでなければ今言ったような形で、物の値段だけが上がっていき、社会全体が損失を被るようになる。
それを防ぐには、働いて富の量を増やすしかないわけだ。
つまり銀行が何もないところからお金を貸せば貸すほど、世の中の富の量が増えていくわけだ。
めでたし、めでたしである。
でも本当にめでたいのであろうか。

人は本当に借金をしないと豊かになれないのであろうか。


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