ひょうきちの疑問

新聞・テレビ報道はおかしい。
2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

終戦直前、竹槍訓練というのがあった

2022-08-15 10:40:42 | 不正選挙

終戦直前、竹槍訓練というのがあった。
空襲にくる米軍機B29爆撃機に対して、「竹槍」で立ち向かおうとするものだ。
私の母も女学校時代に学校のグラウンドで、この竹槍訓練を行った。

本気で参加した人には不遜な言い方かも知れないが、「本当にB29に対して竹槍で勝てると思っていたのか」。
それが私の率直な感想である。
母は「本当に立ち向かうつもりだった」と言った。
私もそれ以上は言わない。
それが女学校のおおかたの雰囲気だったのだろうから。

しかし私が分からないのは、実はそのことだ。
B29が連日のように本土爆撃を繰り返す中で、なぜ日本の勝利を疑わなかったのか。
なぜ竹槍で勝てると思ったのか。

一言でいえば、それが情報操作なのだろう。
しかし、それにしても連日のB29の空襲の中で、なぜそれを信じることができたのだろうか。

ここまで書いて、ハタと思った。
今のコロナにしたって、それと同じではないか。
今回のコロナ騒動は、竹槍訓練に似ている。

ダマされ方は違うが、やってることは同じだ。

コロナ陽性者統計などは多くの国がすでにやめている。
マスクも他国はしていない。
PCR検査も他国では疑問が持たれている。
極めつけはワクチンだ。

戦後、日本人は変わったといわれるが、
その実、日本人は何も変わっていない。
この日本人のもつ精神性というか、日本に蔓延する雰囲気というか。
いかなる危機的状況でも安心感を最優先する国民性というか、
それはいったい何に由来するのだろう。

日本人は、この世が悪意で動いているという性悪説を決して受け入れることができない。
なぜなら、そんな世の中で、生きている意味はないからだ。

戦後社会の幻想というのは、それだったのではないか。
今それが崩れようとしているように思えてならない。

崩れたらどうなるか。
次には、崩れてもそれを見たくないという人が出てくるに違いない。

世の中には善と悪がある。

善は熱くうたいあげるものだが、悪は冷静に観察するものだ。


慰霊の日、英霊は何のために命を落としたのか。

妻や子の未来を信じたからではなかったのか。
それを熱くうたいあげれば、我々にはそれを受け継ぐ責任がある。
それは特別なことではない。
いつの時代も、親は子の幸せを願うものだ。
黙とう。




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