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本草2

2010-02-26 06:03:23 | 学問
新校本草綱目序
 
昔有人問陶隱居、
「吾欲註『周易』・『本草』、孰先。」
陶隱曰、
「『易』宜先、註『易』誤、猶不殺人。註『本草』誤、則有不得其死者矣。」
世以為知言。唐子西記「易庵」、不然其説曰、
「註『本草』誤、其禍疾而小、註「六經」誤、其禍遲而大。隱居知『本草』之為難而不知經尤為難。」
子西氏、其有激而言之也。
 嗟夫、聖人之仁天下萬世也大矣。使凡有生之倫、無一物之不得其所。故事為之備而無所不周、為之『詩』・『書』・『易』・『春秋』、以使人趨正而遠邪、為之禮・樂・兵・刑、以使人化于習善而懼于為悪、為之醫藥診候之術、以使人全其冲和保合之天、而免于扎瘥夭殤之患。故當其時也、善其事者互相爲用、而不相訽病。譬如一家之内、昆弟子侄各修乃職、以成幹蠱之任。然則凡事之當務者緩急本末之不一、而莫不互利民用、以賛化源焉。實有以相濟、而非所以相厲。故稷之播種與契之敬敷、其績焉。世降叔季道岐學渙、得乎彼則廢此、好虖此則疵彼、於是乎言論相軋、旨趣相左、殊不知聖人之於民也、教則有以啓其牖。
 『易』固不可誤解、養則有以全其生。『本草』亦豈可錯説也哉。吾意殽其藥物而使人化為夭抂短折之鬼、與謬其訓方而使人陷于無父無君之域、雖有遲速大小之差、斯民之厄一也。聖人豈二其慨乎哉。然則子西之所見雖正、隱居之説亦不可忽諸。
 賀府若水君、素精本草、匡謬補逸、其書滿屋。博物之譽、上達四聰、嘗經法皇宮乙夜之覽、褒旨殊優。青嚢家就問者、屨滿墻敗。頃書舗之請、就瀕湖『綱目』舊刻校訛字正物稱、又以図翼別集各四巻附諸其後、其功亦勤矣。此書行于世、其於濟世之澤亦豈鮮鮮乎哉。此聖人之所必取也、誦法聖人者之所樂其成也。豈唯方劑家之幸已乎哉。為序其首云。
 ?
正徳四年甲午夏至日東涯
伊藤長胤謹序
 
【解釈】
 昔、ある人が陶隱居に、
「私は、『周易』・『本草』の注をつくろうと思うが、どちらを先にしようか。」
と訊いた。隱居は、
「『易』を先にすべきであり、『易』を注して間違えても、依然として(誤って人が)人を殺すことはなかろう。『本草』を注して間違えれば、(本来の)寿命を全うできないことになってしまう。」
と言った。世間では、それを行き届いた考えとする。(しかし、)唐子西は、「易庵記」で、その説はいけないとして、
「『本草』を注して誤れば、そのわざわいは速くても少なかろうが、「六経」を注して誤れば、そのわざわいは遅くても大きなものになろう。隱居は『本草』の難しいのを知っているが、経典の方がとりわけ難しいのを知っていないのだ。」
と言った。子西氏は、憤慨するところがあってこう言ったのである。
 ああ、聖人が天下・万世を養いはぐくむのは、大いなるものである。生命のあるともがらにすべて居場所を与えるのである。事則をぬかりなく備え、『詩』・『書』・『易』・『春秋』を作って、人を正に赴き邪から遠ざかるようにさせ、禮・樂・兵・刑を作って、善行に習い、悪をなすのをおそれさせるようにさせ、医薬・打診の施術を作って、おだやかで、自らに授かった平穏な天命を全うし、夭折・疫病による死を免れさせたのであった。故に、その時その時に、よく行う者は、互いに助け合い、そしりあわなかった。たとえば、一家のなかで兄弟・その子供たちがそれぞれ自分の職分を果たし、各自の才能に見合った任務をこなすようなものである。ならば、およそ努力すべき事は(それぞれ)緩急本末が異なっており、相互に民生に利便をあたえて、教化のもとの確立賛助をするのである。まことに互いに助け合って成し遂げることができるもので、互いに苦しめるようなものではない。故に(昔の臣下である)稷(ショク)の播種と契(セツ)の謹んでの啓発、その功績は並び補い合うものであった。(しかし、)世が末期になり衰えると、道学はバラバラになり、あれを取ればこれを捨て、これを好めばあれをそしるようになり、かくて言論は押しのけあい趣旨は絡まって、聖人が民に対して教化するとき、窓をあけるように啓蒙したことをまるで分からないようになってしまった。
 『易』は、もともと間違って解してはならないものであって、養生すれば生を全うすることができる。『本草』もまた誤って説くことがあってはならない。思うに、薬物を混ぜ夭折させるのと、訓じ方をまちがえ父や君をなみする領域に人をおとしめるのと、遅速大小の差はあっても、民にとっての災厄は同じである。聖人は考えを二とおりに(記)したはずがない。そうなら、子西の所見は正しいとはいっても、隱居の説もまたおろそかにはできない。
 賀府の若水氏は、もともと本草に精しく、誤りを正し、抜けていた箇所を補い、その書は家一杯になっていた。博物のほまれは、聡明な天皇にとどき、法皇の閲覧を賜り、お褒めの言葉は格別であった。医者で質問に来たものは(とても多く)、靴があふれ塀が壊れるほどであった。ちかごろ書店の要請により、李時珍の『本草綱目』旧刻について誤字・物の名を校正し、図翼別集各四巻をその後に付けたが、その功績も努力して成ったものである。この書が世に流布し、世を救う恩恵もまた微々たるものではありえない。このような(救世)の書は、聖人が採用するものであり、聖人を手本にする者は、書物の完成したことを喜ぶ。薬剤家の福音だけではないのである。そのはじめにかく記す。
 時
正徳四年甲午夏至日東涯
  伊藤長胤謹序
 
 
 
【語釈】
○陶隱居 陶弘景456~536のこと。 煉丹家で、醫藥家・文學者。字は、「通明」、自ら「華陽隱居」と稱し、『本草経集注』の著あり。
○吾欲註…… 『眉山文集』卷二「易庵記」(四庫全書)に見える。
○世以為知言 同上。
○唐子西 宋の唐庚のこと。「子西」は字。
○六經 易経・書経・詩経・春秋・礼記・楽経の六つの経書。また、楽経のかわりに周礼を入れることもある。
○仁 やしない、はぐくむ。
○扎瘥 「扎」は、「さす・ぬく」などの意味があるが、ここでは「札」の俗字。『左伝』昭公十九・『国語』周語下に「札瘥」の語が見え、「札」は「大疫で死ぬこと」、「瘥」は「小疫で死ぬこと」とある(『左傳』疏より)。
○訽 「訽」は、「詬」と同じ。「訽病」で、「はずかしめる・そしる」の意味。
○昆弟 兄弟。
○子侄 侄は、姪の俗字。
○幹蠱 「カンコ」と読む。「才能」の意。
○化源 教化の根源。
○稷 農事を担当した役人の名。后稷とも。稷音:「ショク」。
○契 舜の時代の役人の名。この場合「セツ」と読む。
○敬敷 『史記』五帝本紀「契、百姓不親、五品不馴、汝爲司徒、而敬敷五教、在?。」による。
○殊不知 「たえてしらず」と読みならわす。「こんなことも……」というような意外性を含む言い方でも使われる。
○左 「軋」(もみあう・そしる)とほぼ近い意味でここでは使用され、「うとんじる・いやしめる」の意味とも取れる。
○夭抂 「夭」のこと。夭折。
○殽 まぜる。
○乙夜 天皇の読書。
○青嚢(襄)薬袋。医術。
囙 「因」の俗字。
○墻 「牆」の異体字。
○伊藤長胤 仁斎の子。

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