カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

ニュースから・・・話題のfacebook、サプライズのことなど

2012-05-25 | エッセイ

facebookでお知らせメールを許可しているのでメールが届く。今日も「お友達が待っています」というのが入っていた。しかし、それほど熱心に使っていないので特に普段と変わらない状態で、お友達は待っていない。違うお友達がまたその違うお友達を待っているらしい。

ビーチの妖精・浅尾美和、Facebookのなりすまし被害を報告「私はフェイスブックをやっていない」
  http://movie.goo.ne.jp/contents/news/NFCN0042339/index.html

、というちょっとしたニュースに偶然目が行った。ひどい話で、いたずらが度を過ぎた例だ。この場合、本人とそのメールを送ったファンに対して実に失礼だ。
 偶然同じ名前だったり似たような名前だったりということはあるだろう。しかしこの場合は違う。これならファンからのメールに面白がって返事などしていることもありうるのではないか。つまり寄り添って、と言うより、へばりついて、なり変わったりちょっとしたいたずらをしたりといった類なのだろうと思う。指摘を受ければ、あっ、すみませんでした、という予定になっていることが多い。また周囲も、悪気(わるぎ)はないようだ、などと寛容だったりする。悪気とは一体何なのだ。こういうのを悪気というのではないか。いたずらとは悪気を含んでいることが結構多い。稚気のあるいたずらというのは、良く知り合った仲(知己)でないとあまり通じないものだ。
 
話は少し変わる。これは最近よく言われるところの「サプライズ」の話。これはよく知った仲間内で行われることが多いから、前の例とは状況は異なる。普通、喜ばせようとして行う。これも度が過ぎると大変なことになる。知リ合いだから始めからかなり強烈な仕掛けが多い。これは考えもので、先日も、砂浜に落とし穴を掘って祝福しようとしたら、仕掛けられた人が穴から出られなくなって亡くなってしまった、という、これはもう事件事故と言えるようなことが起きた。気の毒としか言いようがないが、何かがおかしい。度が過ぎたということに加えて何かおかしい感じだ。
 私はこの「サプライズ」というのがあまり好きではない。受ける側だとすると先に言ってもらうと良いのだ。それではサプライズにならないではないか、と言われそうだがほとんどの場合それでもいいと思っている。サプライズはそれをする側の楽しみなのだ。何人かで一人の人間を相手に仕掛けを考えたりすることに極上の喜びを見出している人々もいるのだろう。仕掛け人同士で楽しいことだが、サプライズを受ける側はそれを知らないのである。だから思いもよらぬ動きをしたり予測のつかぬことが起きて事故になる。事故になった時も本人は気が付かず何が何だか分からない状態が続く、といった具合だ。今はやりのコミュニケーションというものが、逆に欠落してしまうのだ。そのときまで知らないから仲間同士の楽しみを分かち合うこともできない。
 この事故のニュースを聴いたとき、何か注意力のようなものが欠落した状況に唖然としたものだ。
 「サプライズ」の仕掛けを仲間内だけでほどこして楽しんでいる風景を見ることは、複雑な気分になることが多い。




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