カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

藤子F不二夫ミュージアム(川崎市)

2012-05-28 | エッセイ





















お土産にキャンディー、その他グッズを少し・・・。





 4月の終わり頃、川崎市向ヶ丘遊園にある藤子F不二夫ミュージアムへ行った。ミュージアムの建築物は綺麗にまとまっているタイプのもので使い勝手は良いのだろうなと思うものの特に感慨は湧かないものだった。内容は私の世代にはおなじみの楽しいものだった。オバQ、パーマンなどは自分の中では全く新しいままで古びてはいないと感じた。むしろリニューアルされた感じがして新しさが増したような感じだ。どれもその時代を過ごしてきた人間にとって現在形で楽しめるものだった。来訪者は若い20代くらいの人々が多いように見受けられた。彼らはオバQ、パーマンより後で生まれていてドラえもん辺りはなんとか知っているのかもしれない。リバイバルものとしてよく知っているという人もいるだろう。ところで、彼らの年代の中には、昭和の時代のものを既にレトロと呼び、今のものと区別する者もいる。私はそれが気に入らない・・・。カラスの鳴く夕焼け空がいつから昭和の象徴のように言われるようになったのか。それも気に入らない。夕焼け空は今だっていつだって夕焼け空だ。今もカラスは鳴く。その判で押したように郷愁を表現するその表現の仕方が気に入らない。そう言ってきた。昭和がレトロと言ったってついこの間のことではないかと思うのだ。レトロという話はするが、昭和レトロという言い方をしたことはない。頭の中に無かったからだ。しかし、彼らにとってみるとかの時代は現在と区別されるもののようなのだ。そんなことを思っていたら、先日何かの拍子に気が付いたのである。昭和が過ぎてからかれこれもう25年になろうとしているということに。なんと4半世紀が経とうとしているのだ、と。恐ろしや。馬齢を重ねたなどと言って済ませられないのである。済ませられないのだが、とにかくそうなのである。地層が重なってゆくように年月も折り重なってゆくのである。それだけの年月が経っていれば、昭和レトロという言葉も、実態とともに実感として定着するということもあるのかもしれないと、思い直さねばならないかもしれない、と思うのだった。ところで、アメリカのようにずっと西暦で年月を理解している人々は、呼び名が変わるわけでもなく一繋がりだから、例えば30年前あたりを何かの言葉で括って今と区別したりするのだろうか。そういった実感を持つとすればどういう言い方になるのだろう・・・。

藤子F不二夫ミュージアムは大人も子供も、ゆっくりと楽しむのにはお勧めだと思った。隣接して川崎市の生田緑地ばら苑(旧向ヶ丘遊園跡地、今開催されている春の一般開放は6月3日まで)がある。



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