カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

旅の中で思う  

2013-08-28 | エッセイ

 先月、東北へ旅した。秋田の街を歩いている時や夜、青森の駅周辺の裏通りを歩いているときに、ふと思うのだった。あ、東北に来ているんだ、と。その思いに混じって、今自分はどこにいるのだろう、とか、ここはどこだったかな、という想念が付随的に湧きあがるのだった。そして東北の街なんだ、とふたたび思う・・・。それは軽い感慨である。気付かないような感慨だ。けれど今回の旅では何度かそういった思いが湧いた。あっという間に行ったから、そのギャップを少しだけ埋めようとしていたのかもしれない。東京近郊の街と東北の街にはそんなに大きな違いは感じない。今、日本の街はどこも似通ったところがあり、旅好きの間ではそれがつまらないという人々もいる。どこへ行ってもコンビニはある・・・。    街が似通っているから一層そう感じるのかもしれない。その半面、やはり風土の違いやその土地ならではのものに感慨を新たにするということもある。

 遠く外国の街を歩いている時など、これと似た感覚に捉われることがある。「今、自分はこんなところを歩いている・・・・」と。それは、例えばイタリアの世界的に有名な観光名所へ向けてひとり歩いて行っている時などによく湧きあがる感情だ。あ、ここはイタリアなんだという思い。周りの風景は見慣れたものではない、まさにイタリア。それでもそう思う。無意識に自分の位置を確認するときに湧く感情かもしれない。自分の国から随分遠い所にいるのだなといった感慨。急いで一目散に目的地に向かうときはそういったことはあまり思わない。ぶらぶらと寄り道しながら歩いているとき、あるいはカフェなどで休憩して少し落ち着いた時などになどによくそう思う。同時に日本で思い描いていた時の遠くの地にあるその目的地はもうすぐそこで、歩いて10分ほど・・・。まさに原宿のラフォーレへもうすぐそこといったところを歩いているのと同じ感覚で、右足、左足・・・と歩を進めて行けばじきに到着することは分かっている。どうということはない。でも、イタリア。そこにいる自分。自分がそこにいるから感じられるそういった感覚。はるばる来たものだな、といった思いもそういうときによく湧く。
 名所などを見た後で周辺の街をぶらぶらする。露天市場などを歩く。目の前に並んだフルーツや野菜を見ている時などにもまた思う。あ、こんなところに来ているのだ、と。



 

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