カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

この夏・23Aug2011

2011-08-23 | エッセイ

2、3週間前頃だったかTVのプロ野球中継を見ていたら、ジャイアンツの抑えの投手に久保が出ており、アナウンサーがジャイアンツの守護神、と言っていた。佐々木以来守護神がいたる所に現れるようになったけれど、そんなに神様が多くいていいはずもない。久保が守護神? 迫力、球威など見るとその形容はかなり苦しい。久保を守護神と言っているようではジャイアンツの勝ちは望めない。
スタジオジブリ作品の「紅の豚」に出てくるシーンで、元気な少女が飛行機の設計図を見てウキウキしながら語るシーンがとても好きだ。
I've been to the Shounan beach in this summer also・・・VVVVibration of shounan BBBBreeeeeeze!
町田という街に「金♀園」というお茶屋さんがあり、よく前を通りもするし時々買ったりもする。歩いていてその看板を見ると瞬間的に頭の中に、「きんポウえん」という音が浮かぶ。気が付いてから最近やっと「かねこえん」と置き換えてから言えるようになった。あの♀、ポウという感じがしないか。人に言うと、しませんという答えが返ってくる。呆けた、という字を連想するからだと思う。
ブラタモリという番組が面白くて時々見る。タモリは街を歩くのが楽しそうだ。街の構造的なものがぽつぽつと顔を覗かせているのが面白いようだ。分かる。若かりし頃、暇にあかせて当てもなく街をぶらついた経験のある人にはそれらは目に入るし、長い年月でそれらが組み合わさって街がぼんやりとその人の中でイメージを結び始める。そこにそこはかとない楽しみを見い出す。そういった時間を持てた人は幸せだ。
街には長い時間の経緯が物として積層している。そこにその人の貴重な実時間が重なって記憶となっている。かなり良いのではと思われるモダニズムの建築物、レトロと形容され出した建築物などをあっさりと壊して建て替えているのを見ると、一体この「無造作感」は何なのだろう?と思う。新しい物が好きな者でもそう思うのだ。経済優先で建て替えないと、ということなのか。綺麗なものに建て替わる頃には、というより工事中には既にこちらの記憶にはそこに何があったかということは忘れ去られている始末だ。
オリンピックやワールドカップなどが海外で開催されるとき、選手たちが選手村を利用するのももちろん他の国の選手たちとの交流もあってよいのだが、それとは別の案として、その開催地近くに日本人選手専用の宿泊施設を造っても良いかもしれないと、ふと思った。料理なんかもシェフを頼んで「勝てる料理」を作ってもらう。できれば、体調調整用のアスレチックジム、プール、運動場も付属していても良いかもしれない。これで万全の状態で大会に臨める。大会が終わったら、ホテルなどとして現地で運営してもらうかそのまま日本の運営会社で運営する。
どれにしようかと自販機を眺めていたら珍しくも昔懐かし、ドクターペッパーが目に入ったのでボタンを押した。子供の頃に初めて出たときは変な味だなと思い、直にコーラ、ファンタの方に慣れていったのだが、改めて飲んでみると旨いのだった。梅の味だったとは。大人の味だったのだろうか。アルコールの何かと混ぜても旨いかもしれない。でも、なぜドクターなのだろう?
痔の病を持っている人を「痔主(じぬし)」とは冗談でよく言うけれど、結石のある人は「石持ち(いしもち)」と言うそうだ。そう言わなくても全くかまわないのだが、それにしても、魚のようなものに分類されるらしい。結石は今は砂のような小さなものが私にも在り、医者には大丈夫ですよと笑われるのだが排泄の時痛いときもあった。最近はほとんどそういったことはなくなっている。
友人と高めのレストランに入ったりするときなど、その前にコンビニなどで酒を買い少し酔いを満たしてからにしたりするときがある。レストランの中の酒はかなり割高だからだ。学生気分になったようなものだが、これを我々は「作戦」と呼んでいる。
蝉が、地面に落っこちている。落っこちているとしか言いようがない感じで仰向けになっていたりする。死んでいるのかなと思ってつつくと思い出したように少し力無くそれでもバタバタと飛んで行く。暑さで気絶しているらしい。そういうときは蚊もいない。そういえばインドでは蚊は、夕方、涼しくなってから大量に出るのだった。蝉の鳴き声は涼しい地方以外では聞いたことが無かった。蝉も気絶する暑さ。
登山家のメスナー氏の実記録に基づいた自伝的映画を観た。先日封切られた。大々的な宣伝はマスコミでされていないので好感をもった。新聞に小さめの広告が出ていたので直ぐに飛んで観に行った。タイトルは「ヒマラヤ 運命の山」という。物凄いどんでん返しがあるわけでもなく、ストーリーを難しく作っているわけでもない。メスナーという一人の人間の実人生を基にしているからだ。そういう重さ。実際にこの何十年も前のナンガ・パルバートへの登山でメスナー氏は弟を失っている。知らなかった。作りものの様な凄いストーリーが待っていて観客を楽しませるというものではなく、しかしそれゆえか、感動した。ナンガ・パルバートという山の景色だけでも充分だったし、役者も実際に登っており相当の技術があるのだろうと思った。山好きの山怖がりにはこたえられない空気感が伝わってくるのだった。暑い日だったけれど映画館の中は冷房が効いてひんやりとし、とても落ち着いてゆっくりと観ることができた。水曜日の割引の日に行きました・・・。
「雪と雲の白、と、空の青の映像・・・。」

 
         

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