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瞬天王統【2】

2020年02月15日 00時00分47秒 | 日記

 尊敦は若いながらも知徳に優れていた

人民から推挙され浦添按司になった

 

天孫王統が琉球を統治し続けていたが

二十五代目が臣下の利勇によって毒殺された

 

利勇は自ら中山王と称した

そのため国は乱れ、民は苦しんだ

 

そこで尊敦は兵を起こし利勇軍を攻め滅ぼした

利勇は妻子と供に自ら命を絶った

 

1187年尊敦は中山王に即位し瞬天王と称した

琉球を統治し新しく法律を制定し正しい

政治を行ったとされている

 

瞬天は中山王として1237年まで統治、在位50年

 

二代目は世子の瞬馬順熈が1238年に即位したが

歴史書には業績について何も記録されていない

在位12年

 

三代目は世子の義本が、1249年に即位した

しかし統治中国内は天災や飢餓、疫病が相次ぎ

 

多くの民が苦しむ時代が続いた

義本王は自分には徳が無いからと

五十四歳の時退位し当時摂政だった英祖に禅譲した

 

瞬天王統は三代(1187~1267年)続いて

73年琉球を統治したと史書に記録されている

 

琉球の正史以外には瞬天王統に関する資料は全く残っていない

そのため実在しない伝説上の王統と言われている

 

だが歴史家によっては

全く否定できないと考える歴史家もいる

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