理神論者の
イマニエル・カントの神観
人間は 有限な存在で
知力が限られていて
世界全体が 何であるか
知ることが出来ない
人間の知識は
印象と観念に 限られて
それを超えた
知識の対象にはならない
人は 主観 形式であり
時間 空間の内に与えられた
現像のみ 認識できる
神と言う理想を 人間の認識 能力の
枠の中に当てはめることは
神の 尊厳を 損なうと
イマニュエル ・ カントは言う
ユダヤ教 旧約聖書
キリスト教 旧約聖書・新約聖書
イスラム教 コーラン・旧約聖書の一部分・
新約聖書(4福音書)の一部分
三宗教とも同じ創造神の神
聖地も同じ イスラエルのエルサレム
前回の投稿にリアクション、コメント頂き
有難う御座います
何時も応援を戴きましてありがとうございます
そしていいね。なども毎回戴き感謝いたしております
神仏の研究が世界中を網羅してなされていらっしゃるのに何時も吃驚しておりますし、学ばしていただいております
私は無神論者ではなく、信仰もしています
其の信仰は人それぞれですが、信仰の自由は現実に
歴然として在り自分で選択すべき物だと思っております、信仰二世とか色色世間を騒がしておりますが
それらを含めてもっとしっかりと信仰という事を考えてみて欲しいと思います
洗脳はする人の為にある物でされる人は第一に学びが足りないと思って居ます
神の名、佛の名を利用して自分の欲求を満足させる
事が果たして信仰なのでしょうか
其れを信仰と思い、そのために堕ちてゆくのなら仕方が無い事ではないかと思って居ます
全ての過去から現代までの宗教や信仰はそうした
思考から始まり現在に至り、する側とされる側の
立場がプラスとマイナスになっているのはその人の意識の問題で、他人が如何に救いの手を差し伸べても、その手をつかむ、握る意思がなければ無駄事でしょう
客観的に見て救いようがない信仰の領域は自分がその渦に巻き込まれない様に考えるしかないと信じています
此れは多神教の日本人の多くの人が持って居る心でしょう。。。。これは私の多信仰の持論です
来年もよろしくご指導ください、よいお年を
遊