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中城城 【3】

2019年12月01日 00時01分33秒 | 日記

 中城グシクは護佐丸によって改築、増築され

現在観る規模に成り、居城とし、を護佐丸のグシクとして

語り継がれていたことは有名である

 

護佐丸の履歴を示す歴史的資料はほとんどなく

現在語られている履歴には不明な点が多い

 

曾祖父が先昔今帰仁按司のとき

1322年に

後昔今帰仁按司怕尼芝(はねじ)によって滅ぼされた

 

一族は山田の地に生き延びこの地に山田城を築き

護佐丸は四代目山田按司と伝えられている

 

伝承や家譜(豊見城家)などによると

護佐丸は英祖王の次男、湧川王子の子

 

湧川按司から四代目の三男が

四代目山田按司が護佐丸と伝えられている

 

護佐丸は1390年に生まれたと伝えられている

生まれた時の童名(わらびな)

幼児名は真牛(まうし)と言った

 

当時の沖縄では、家族、親族、仲間内では

生涯童名(幼児名)で呼ばれていたと言われている

 

中城按司護佐丸盛春は日本向けの名前

毛国鼎(もうこくてい)は明国向けの名前

 

琉球氏族は童名、大和名、唐名と三つの名前を持っていた

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