人生黄昏時

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サンアイ・イソバ【2】

2021年06月05日 00時01分08秒 | 日記

  石垣島を統治していた英傑オヤケ・アカハチは

琉球王府が求めた朝貢を拒否し

 

琉球王府に従わなかった

それに怒った王府は

 

宮古島の首長仲宗根豊見親玄雅に征伐を命じた

玄雅は嫡子の中屋金盛を大将にし

 

3千人の兵士を乗せた46の軍船で

石垣を攻めアカハチ軍を鎮圧した 

1500年の事である

 

その勢いで金森は軍を率いって

与那国島に侵攻し攻撃してきた

 

ドゥナンバラ村とダティグ村は焼き払われ

残りの2村も焼き払われ、弟の按司たちは殺された

 

イソバは軍を率いって追撃し

遂に宮古軍は敗走した

 

宮古軍を撃退し与那国を守った

サンアイ・イソバ名は後世まで

英雄伝説として語り継がれるのである

 

イソバの姓没年は不明だが子孫は島袋家として伝わっており

十六代まで女系であったと言う

 

現在与那国島の観光名所の一つになっている

ティンダパナの近くにイソバの石碑が建立され

墓が設けられている

 

イソバの子孫は現在も続いており 功績を称え

その子孫を中心に、島民も参加し祭りを行っている

この祭りは島中まちり(祭)と言う

 

壬午の日に、今は廃村になっているが

島中ムラで行われている

 

サンアイ・イソバはドゥナン(与那国)チマ(島)を

守り、開拓者、優れた指導者 

 

チマの英雄として

サンアイ・イソバは後世に語り継がれて行くであろう

コメント (6)
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