人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

察度王統【4】

2020年04月01日 00時00分14秒 | 日記

  察度王統・英祖王統・瞬天王統・天孫王統は

琉球の正史である、歴史書に記されているが

 

琉球の歴史書は歴史家、研究者にとって、信頼度は低い

史書は、時の為政者の政治的背景に影響を受け

 

書かれたものであるから、史実として

全てを受け取ることが出来ないとしている

 

でも、琉球史を知るうえで第一級の資料と述べている

 

察度は明王朝との朝貢

日本や高麗、東南アジア諸国と貿易を行い

 

琉球国を交易中継地として行う事によって

経済や文化を大きく発展させた

 

この朝貢関係が明国の歴史書に

事細かく記録されているため

察度王は実在した人物としている

 

察度王は1396年死去、在位四十六年、七十五歳だった

 

察度王の世子である武寧が四十一歳の頃二代目に即位した

 

この武寧が琉球国で始めて、1402年に冊封を求めた

明王朝永楽帝は求めに応じ武寧を冊封するため使節を派遣する

 

琉球国の王が、即位する度に冊封が送られ継続される

 

琉球国最後の王第二尚氏十九代尚泰王(1866年)の冊封まで

明王朝時代には17回、清王朝時代8回460年以上に渡って

合計25回冊封使が送られた

 

冊封を受け名実共に中山王として即位した

武寧王は、史書によると、父の遺命に背き色欲を好み

 

群臣の賢か否かの見分ける事も出来ず

そのため各地域の按司たちは離反していった

 

その頃、尚恩紹、巴志親子が

佐敷グシクを拠点に勢力、拡大していた

 

尚親子が1406年に中山に攻め入り、武寧を滅ぼした

察度王統は、二代、五十五年で滅びた

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする