久米島は緑豊かな森林を有しそのため水が豊富である
以前は稲作が盛んに行われ、米の島と言われていた
沖縄の方言で米は「くみ」と言い
米の島「くみの島」→琉美の島→久米島と
呼ばれるようになったと言われている
歴史書にも「くめの島」と「おもろさうし」にも謡われている
日本史書「続日記」に元明天皇の時代714年の記事に
太朝臣遠建冶等が奄美、信覚(石垣島)、琉美(久米島)の
52人を率いて奈良に入朝をしたと記されている
また、琉球の歴史書にも1264年に琉球王府に入貢したとある
久米島は歴史も古く
伝統行事文化など多く継承され守られていて史跡、石碑など有り
また祭場となっている、城跡は十三ヶ所確認されている
十五世紀頃久米島を支配していたと言われる
按司(城主)達の居城
宇江城跡と伊敷城跡、登武那覇城跡、具志川城跡など
現在も見ることが出来る
1511年に琉球の侵攻により琉球の支配下になる
その後、具志川城主だった上江州家が
代々地頭として久米島を統治して来た