具志川城主であった上江洲家は
代々久米島の地頭として勤めてきた
1754年に七世地頭の上江洲智英(1704~1762年)が
現在の家屋を建築したと言う記録がある
屋敷(約660坪)の周囲は琉球石灰岩の
石垣と福木に囲まれ、全体が美しい状態で保存され
当時の面影を色濃く残っている
今でも島の住民は石垣殿内と親しみを込めて呼んでいる
上江洲家は地頭として
綿糸・お茶の栽培方法、中国から伝わった養蚕
東南アジアから伝えられた織物の技法など
久米島紬として久米島に普及させ
久米島のために尽力されたことでよく知られている