オレンジカフェ

2人の男の子の子育てと仕事の話、おいしい話、時々気ままに。

忘れられない3月

2011-03-30 13:48:18 | 仕事
今年の3月は本当に怒涛のように過ぎて行った。

あまりにいろいろなことがありすぎて、
濃すぎて、本当に疲れた

前半は仕事があまりにも忙しく徹夜でこなし、
仕事が落ち着いた翌日に、あの東日本大震災

都内から徒歩で帰る経験をしながら、
疲れもとれないうちに、
確定申告のラストスパートで
またもや徹夜
計画停電におびえながら、なんとか書類を完成し、
15日ギリギリに役所に提出に行く
税務署じゃなくて、役所でも受け付けてくれたから、
近くて助かった~

でも、今年は電車が止まったり、
大幅に電車の本数が減っていたので、
理由を言えば、遅れても平気だったみたい

大仕事が終わったな~、ちょっと休めるかな~
と思ったけど、
学校も給食なしで子どもたちも早く帰ってくるから、
なんとなく落ち着かない。

そして学校の修了式の前日24日。
離・退任の先生が発表された。
そうしたら、すごくお世話になり、頼りにしていた
教務主任の先生が退任されると言うじゃない
あまりにもビックリして大声が…

今年は教頭が定年で退職されることは知っていたけど、
ここ数年、教務主任をされている女の先生まで
一緒に退任されるとは、想像もしていなかったので、
本当にビックリしお先真っ暗な感じ

PTA役員にとって教務主任の先生は、
いろんな面で保護者と先生方のパイプ役であり、
行事などにも詳しい頼りになる存在だったから。
そのベテラン先生がいなくなることで、
多くの役員も変わってしまう来年度、
うまくことが進んでいくのか、本当に不安なのだ

でも、先生にも先生の考えがあるから、
仕方がないけど

最後の最後まで、どっと疲れる
3月だった。

学校に咲いていた満開の菜の花に癒される





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先週の小学校

2011-03-20 10:35:31 | 学校
地震があったのが金曜日。
土日で少しは落ち着くのかと思っていたけど、
その様子はなく、余震が続いていた

結局14日の月曜日、学校は臨時休校になり、
翌日から始まったものの、
給食はなくなってしまったのだ
本当だったら、16日まで給食があり、
17日は6年生の為のお楽しみバイキング給食だった。
でもそれもなし

毎日午前授業で、お昼に集団下校で帰るという生活になった。
そして、計画停電も始まった。
こっちで今までに行われた計画停電は昼間か
3時半から18時半まで
ちょうど、子どもたちが遊びに
行っている時間にかかるから、
大通りを渡るときは、本当に怖い

最近は迎えに行ったりは、していなかったけど、
さすがに今回は迎えに行ったり…

そして昨日は、小学校の卒業式だった。
計画停電の予定が卒業式の時間で、
どうなる事やらと心配されたけど
停電は土曜日だったから中止。
卒業式は無事に行われたのだ

私は副会長だったので、来賓として参加。
自分が小学生だった時、来賓ってどんな人なんだろうと
思っていたけど、どんな人が座っていたのか
今になってわかる

今回の卒業式は、
下の子の野球チームの6年生も結構いたし、
4年生の上の子も参加していたので、
ちょっと楽しみにしていた。
自分のころとは、いろいろ違う点もあり、
でも、やっぱり感動は一緒?

イヤイヤ、親の目で見る卒業式って
全然違うな~と思った。
ここまでの成長を本当に思い出しちゃうんだよね
もう、6年生が入場してきただけで、
グッときちゃうんだもん
2年後、上の子の時はどうなっちゃうのか、
心配だな…

PTAのほうもほぼ1年間の行事をこなし、
後は25日の離退任式を終えれば、
22年度は終わる。
本当に忙しい1年間だったけど、
とりあえず、お疲れさまって感じかな

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうなっちゃうの?

2011-03-17 09:00:13 | Weblog
3月に入って、
あまりにいろいろなことが次から次へと起こり、
毎日、どうなっちゃうの?という思いで生活している。

3月に入ったら落ち着くはずの書籍の仕事も、
版元の担当さんと話がかみ合わず、
修正修正で大変なことになっていた。
そのため、3月頭で一段落するはずが、
3月10日までに2夜連続徹夜をしてしまった。
2夜目は明けてそのまま編集部に顔を出したりして、
本当にぐったり

10日はとりあえずゆっくり寝たものの、
あの魔の11日を私は、都内、
千代田区の神保町で迎えてしまったのだ
編集部に打ち合わせで出かけていて、
早く帰りたかったんだけど、
なかなか終わらず、もうすぐ終わって帰れるって時に、
地震…

編集部が入っているビルは結構古いので、
かなり揺れも激しく、本当に怖かった。
なんとか、道路に出たものの、
その地帯は古いビルが密集しているので、
ビルの揺れのせいか、
地震の間中、バリバリ音がするのだ…
本当に崩れ落ちるのでは、心配したけど、
なんとか大丈夫だったみたい。

でも、道路にはビルから出てきた人であふれ、
すごいことになっていた。
余震は続くし、電話もつながらないし、
子どもたちは無事に家に帰ったのか、
本当に心配で心配で…
なんとか隣に住むおばあちゃんと、
比較的早い時期に携帯がつながったので、
私が都内にいることを伝え、
子どもたちのことをお願いした

かからない、かからないといっても、
やはり、携帯電話をかけ続けてしまい、
でもなんとか連絡も取れたからよかった。
携帯の充電もなくなりそうだったので、
すぐにコンビニで電池式の充電と電池を購入。
それはかなり役に立った。

結局、電車はすべて止まっていたので、
同じ方面の編集部の人と川崎まで歩いて帰ることに

でも、都内の道はすごかった。
歩道は人・人・人で、ぶつかりながら歩くくらいだったし、
道路も車が渋滞して全く動かず。
まぁ、すべての電車が
止まっているのだから仕方がないけど

結局5時間近く歩き、
川崎、多摩川が近くなってきたころ、
市内に勤務の夫が車で迎えに来てくれて、
途中で拾ってもらった

車もなかなか動かなかったので、
家に着いたのは日付が変わってから。
足は痛いし、本当に疲れた
でも、東北の被害を見ると、
こんなのは、いいほうなんだよね。

あれから1週間たつのに、
東北の状況は支援物資も届かず、
寒い中、ますます大変な生活を送っている。

こんなことで弱音をはいてはいけない!
計画停電ぐらいいつでもうけ入れないと、
という気持ちにもなる。

今私にできることは義援金を送ることぐらい。
状況が早く改善されることを祈るばかりだ。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする