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不肖「信頼出来ない語り手」明智紫苑の我楽多ブログです。主に自作小説とカスタマイズドールを扱いますが、エッセイもあります。

ヴィーナス・フランケンシュタイン ―岡崎京子『ヘルタースケルター』―

2018-08-09 12:00:00 | 漫画・アニメ
 精神科医の斎藤環氏は「男性は所有原理が強く、女性は関係原理が強い」と定義しているが、私が思うに、男性の所有原理を象徴するものは「能力」であり、女性の関係原理を象徴するものは「外見」である。いわゆる「コミュニケーション能力」の定義は人それぞれだが、女性にとっての一番の「コミュニケーション能力」は「外見」である。作家の中村うさぎ氏は「人間としての魅力と女としての魅力は違う」と定義したが、女性は人格ではなく外見によって「女としての魅力」の有無強弱を測られてしまう。女性にとって、外見とは自己主張のための武器であり、保身のための防具でもある。
 当然、不美人は不利だ。もちろん、美人が過大評価の果てに「見かけ倒し」扱いされる場合もあるが、不美人が「人間」としても「女」としても過小評価されるのはありがちな事態だ。そして、女性だけに限らず、人間の容姿とは他者との関係のためにある。同じ事は「名前」にも言えるが、セム系一神教(すなわち、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の総称である「アブラハムの宗教」)で唯一神の名前を呼んだり、偶像を作ったりするのが禁じられるのは、この神様が「男神」であり「唯一神」であるのを保つためである。すなわち、評価の基準としての「他者」である他の神々(もちろん、他の神との区別のための名前やイメージを持つ存在である)を排除するためのタブーだ。

 岡崎京子氏の最後の漫画『ヘルタースケルター』は、まさしく「人造美女」の物語である。ヒロインである売れっ子ファッションモデル「りりこ」は、元醜女の全身整形美女だが、彼女の「創造」とメンテナンスはフランケンシュタインの怪物のようである。そんな彼女と所属事務所社長「ママ」並びに美容外科クリニックの女性院長との関係は、いわば同性間のピグマリオンコンプレックスだと思う。
 ママはりりこを通じて、若い頃の美しかった自分自身を再現する。そのりりこに直接手を下す院長は、自分自身ではなく、りりこを含めた同性の他者たちを「人造美女」「フランケンシュタインのヴィーナス」に作り変える。りりこを生きた女神の偶像に作り上げる二人の女性年長者たちは、世間一般の中高年女性たちが若い美女に嫉妬するのとは対照的だが、私が思うに、彼女たちは少女時代の人形遊びの延長として「人造美女」を生み出したのだ。ちょうど、私自身がドールカスタマイズという手段を通じて「人造美女」を生み出すように。
 ついでに、この漫画とは関係ないが、孔子と愛弟子顔回の関係も同性間のピグマリオンコンプレックスだったのかもしれない。孔子は他の弟子たちに発破をかけるために、あえて顔回を思い切りほめちぎったのかもしれないが、それは結果的に顔回をアーサー王伝説の聖杯の騎士ギャラハッドのような「人造美男」に仕立て上げる事になった。あるいは、孔子は顔回を通じて自分自身を「作り直そう」としたのかもしれない。光源氏に養育された紫の上が「人造美女」であるように、顔回は孔子が作り上げた「人造美男」なのだ。

 もし仮に『ヘルタースケルター』の男性版の物語を作るとすれば、それはおそらくは「能力主義神話」を描く事になるだろう。そして、そのようなテーマの傑作はすでにある。ダニエル・キイス氏の『アルジャーノンに花束を』だ。これは知的障害者の男性主人公が手術で天才的頭脳を得る物語だが、この話の女性版がたいてい「人造才女」ではなく「人造美女」なのは、「才女」よりも「美女」の方がより「女らしい」存在として価値があると見なされるからだろう。

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皮肉か、リスペクトか?

2018-07-06 12:00:00 | 漫画・アニメ
 日本が誇る国民的漫画の一つである『ドラえもん』には、いくつかのパロディ&リスペクト&フォロワー作品がある。その代表例が鳥山明氏の『Dr.スランプ』と江川達也氏の『まじかる☆タルるートくん』(以下、『タル』)だが、この二つは対照的な作品だ。

 私は『Dr.スランプ』からは本家に対する悪意など微塵も感じられなかったが、『タル』からは露骨に本家に対する悪意が感じられた。ドラえもんがのび太に対して「アドバイザー」として機能しているのに対して、幼児であるタルるートは本丸に対して「アドバイザー」として役に立たない。その代わり、本丸が他のジャンプ漫画主人公たちのように努力して強くなるが、それ自体が「ジャンプ漫画」そのものに対する当てこすりのように思える。
 ヒロインの伊代菜は言うまでもなくしずかちゃんのパロディだが、まだ小学生の女の子だというのにも関わらず、やたらとエロティックな描写をされている。成人女性でも抵抗感があるような大胆水着を母親に着せられるなんて、一種の性的虐待じゃないか!? 全く、文字通り「嫌らしい」わ。
 しかし、伊代菜の親友である女の子、 伊知川累 いじがわ るい の存在がこの漫画の最大の魅力にして存在意義ではないかと、私は思う。塁は名前通り「意地が悪い」キャラクターに描かれているが、彼女の意地悪さはあくまでも本丸ら異性のクラスメイトに向けられるものであり、同性に対しては別に態度は悪くない。そして、親友の伊代菜よりもはるかに魅力的な女性キャラクターである。そんな塁こそが『ドラえもん』のアンチテーゼとしての『タル』の一番の取り柄だ。

 さて、『ドラえもん』世界でしずかちゃんやジャイ子以外の小学生女子が(さらには、あの二人やドラミちゃんやのび太たちの母親たち以外のほとんどの女性キャラクターたちが)ほとんど単なる背景に過ぎないのは、しずかちゃん以外の女子たちがのび太の目線に入らないのも同然だからではないかと、私は思う。『ドラえもん』はあくまでものび太の目線の物語だ。多分、「のび太は浮気性の男ではない」のを示すために、しずかちゃんとジャイ子以外の小学生女子は「名前のない」存在にされているのだろう。それに対して『タル』で伊代菜以外の女性キャラクターが目立つのは、本丸のスケベさゆえではなかろうか?

《余談》
 個人的には江川達也氏個人は好きではない。本業をほったらかしにしてメディアに露出するようになった辺りから、私は江川氏を嫌いになった。同様に、荒俣宏氏も苦手になってしまった。『帝都物語』、好きだったのに、残念。
 ついでに「ホンマでっかテレビ」で某学者さんが出演するようになってしまったのもガッカリもんだったりする。あれって、血液型占いを盲信するような人たち向けの番組じゃないの? かつて私が尊敬していた元ブロ友さんとケンカ別れした理由の一つですらあるんだぞ、あの番組は。直接的な原因ではないが、私がその人に愛想をつかした遠因の一つではあるね。

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ああ、王国よ

2018-06-10 12:00:00 | 漫画・アニメ

 ああ、惜しい。実に残念だ。
 もし仮に『キングダム』が40巻くらいまでに秦の天下統一まで描いて完結していれば、世間での評価はもっと高かっただろうに。
 50巻が出るタイミングで実写映画化が決まったのが公表されたのは、一見めでたい。しかし、それでも私は言いたい。
 ヤングジャンプ編集部様、いくら雑誌の売り上げのためとは言え、『キングダム』を無理やり超スローペースで展開させるのはひど過ぎませんか? 作者の原泰久先生がお気の毒です。

 …まあ、今さらそんな事言っても手遅れか…。ああ、王国よ、王国よ。

 漫画家であれ、小説家であれ、役者さんやミュージシャンであれ、「代表作」が一つしかないというのは結構キツい状況ではないかと、私は思う。『こち亀』の秋本治氏は『ミスタークリス』というもう一つの代表作があるからまだ良いが、『コータローまかりとおる!』の蛭田達也氏は『コータロー』以外に代表作がない。『バスタード』の萩原一至氏に至っては、読者から「『バスタード』しか描けない」などと批判されるくらいだ。
 要するに、私は原氏が蛭田氏や萩原氏のように「他に代表作がない」状態になってしまう可能性があるのが残念なのだ。せっかくの漫画家としてのキャリアが「それしかない」というのは、表現者として致命的弱点になり得るのではなかろうか? たった一曲のヒット曲だけで細々とご飯を食べている演歌歌手みたいな悲哀をかもし出すような事態になるのは、何だか嫌だなぁと思うのだ。もし私がプロの漫画家ならば、色々な作品をどんどん描いて世間に認められたいと思うだろう。

『ゴールデンカムイ』の作者、野田サトル氏は前作『スピナマラダ!』の続編を描きたいらしいが、その願いを叶えるためには、『金カム』を適度な長さでキレイに終わらせる必要がある。そう、『キングダム』の轍を踏むような事態に陥るのを避けるべきだ。いくら人気があるからと言って、安易に長々と続ければいいってもんじゃないんだよ。

《余談》
 さて、我が心の師である永野護氏はどうなのかというツッコミがあるかもしれないが、永野氏はあくまでも「デザイナー」であり、『ファイブスター物語』という漫画はそのデザイナーとしての成果を発表する場であるのが、他の漫画家さんたちと一線を画する点である。つまり、他の漫画家と同じ基準で論じられるような存在ではないのだ。同じ事は多分、荒木飛呂彦氏にも言えるだろう。
 デザイナーとしての永野氏の代表作やその他成果はFSSだけではないから、蛭田達也氏や萩原一至氏と一緒くたにするのは乱暴だと思うのね。

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ドラえもんとジェンダー

2018-05-25 12:00:00 | 漫画・アニメ
 私は『ドラえもん』ののび太としずかちゃんの関係について思う。この二人は成人してからは普通の(?)異性愛カップルに見えるが、小学生時代のこの二人はむしろ百合カップルのように見える。いわゆる「アンチヒーロー」とは主に①悪漢型②ダメ男型③男性ヒロイン型の三パターンがあると思うが、のび太と『エヴァンゲリオン』のシンジは②と③の複合パターン「男体化ダメ女」のように思える(ちなみにシンジの父碇ゲンドウは①と②の複合型である)。そして、私の「のび太としずかちゃんの関係=異性愛カップルの皮をかぶった百合カップル」という仮説においては、しずかちゃんはのび太に対して「お姉様」なのだ。
(しずかちゃんがのび太に風呂を覗かれてもアッサリ許す展開を非難するフェミニストは少なくないが、私が思うに、しずかちゃんはのび太をマトモに「異性」だと認識していないから、なし崩しに許してしまうのだろう)
 それに、ジャイアンがのび太をいじめるのは、のび太が「男らしくない」のが気に食わないからだ(のび太がドラえもんに泣きつく姿勢からは女性的な媚態が感じられる)。しかし、ジャイアンは(かなり独善的とは言え)義理堅く人情味のある人間でもある。仮にのび太とジャイアンが異性同士だったら、案外仲良くなれたかもしれないのだ(それで、のび太が女でジャイアンがイケメンだったら、モロに乙女ゲーム的な展開になりそうだが)。
 そのジャイアンの妹であるジャイ子は、しずかちゃんとは違ってブ少女であるがゆえに「アンチヒロイン」扱いされるが、私が思うに、『ドラえもん』世界における一番の「アンチヒロイン」は女の子であるジャイ子ではなく、男の子であるスネ夫だろう。のび太の「男らしくない」性質は必ずしも否定的要素だけではないが、スネ夫の「女性的」要素はのび太よりもずっと「否定的」である。あるコラムニストがある女性政治家について「クラスに必ず一人はいた嫌な女子のタイプだ」と批判していたが、スネ夫とは、そのようなマイナス方向での「名誉女性」である。

 では、『ドラえもん』世界におけるプラス方向での「名誉女性」とは誰か? 言わずと知れたドラえもんその人である。ドラえもんは一応は男の子だが、その役割はのび太の亡き祖母の代わりにのび太の再教育を行うというものである。さらに、四次元ポケットは万物を生み出す子宮のメタファーだし、当人の妹ドラミちゃんへの嫉妬や劣等感は「兄」ではなく「姉」のもののように思える。

 それはさておき、しずかちゃんは原作では同性の親友のエピソードがあるらしいが、私が昔観ていたアニメ版(そう、大山のぶ代さんがドラえもんを演じていたヴァージョンであるが、その大山さんのふくよかな声もドラえもんの「母性的」イメージの根拠だった)では、しずかちゃんは「オタサーの姫」的な立場であり、それゆえに女性視聴者たちには好かれなかった。私は現在のアニメ版『ドラえもん』を観ていないので、その現在のアニメ版しずかちゃんの交友関係を知らないが、しずかちゃんとジャイ子以外に目ぼしい未成年女子キャラクターを設定しなかったのは実に惜しいと思う。
 むしろ、のび太、ジャイアン、スネ夫のそれぞれの母親である成人女性キャラクターたちこそが興味深い。息子を叱るが、その自らの説教が空回りするのを自覚しないのび太ママ。裕福な家庭の主婦としての見栄があるスネ夫ママ。そして、古き良き時代の下町の庶民のたくましさを感じさせるジャイアン母ちゃん。何だい、しずかちゃんら未成年の女の子たちよりも、彼女ら既婚子持ちの成人女性キャラクターたちの方がよっぽど魅力的で面白いんじゃないの!?

 ところで、ドラえもんの再教育を受けなかった場合ののび太はジャイ子と結婚して不幸な生涯を過ごす事になっていたが、現在の日本社会の状況からすれば、のび太は生涯独身のままで亡くなり、それゆえに子孫を残せないのが自然な気がする(仮にジャイ子が現代的・進歩的なジェンダー観を持つ女性ならば、わざわざ甲斐性なしのダメ男と妥協婚をして苦しむのを拒むだろう)。しかし、実際にそのような事態になってしまうと、『ドラえもん』という物語自体が成立しない。そんなパラドックスを読み取れる余地があるのもまた、『ドラえもん』という現代の神話の魅力の一つだろう。

《追記》
 出来杉君は単なる「男の子」というよりもむしろ「宝塚の男役トップスター」のようなポジションではないかと思う。そうすると、のび太としずかちゃんとの関係はますます百合百合しいものになってしまうね。

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新しいものを作るとすれば

2018-02-19 12:00:00 | 漫画・アニメ
 私が何年か前に読んだ中村うさぎさんのエッセイに、新劇場版『エヴァンゲリオン』の批判があった。うさぎさん曰く「レイとアスカがシンジのために料理するなんてあり得ない」。まあ、確かにそうだろう。新劇場版以前ならば。
 うさぎさんが批判したものは、旧作とは違うところに意義があるのだ。そもそも以前と何もかも全く同じならば、わざわざ新ヴァージョンを作る必要などない。まあ、エヴァについてろくに知らない私が偉そうに言うのもなんだが、前述のような感想を新劇場版エヴァに対して抱いたうさぎさんは『ファイブスター物語』のファンには向いていないだろう。さらに、13巻以降の展開で脱落した元FSSファンの人たちも多分似たようなものだろう。
 多分、新劇場版エヴァが完結したら、数年後にまた新たなエヴァが作られるだろう。エヴァもガンダムシリーズやFSSのように成長し続けるのだろう。

 うさぎさんはある同業者への対抗意識のために、ある一般人女性を作家デビューさせようとしてひどい目に遭った。太田出版刊『狂人失格』にその経緯が描かれているが、問題の一般人女性には「消費者」としてのエゴは十二分にあっても、「クリエイター」としてのエゴはなきに等しい。おいしいものを食べて幸せに暮らしたい。あわよくば、好きな有名人に会って仲良くしたいという平凡な願望を抱く平凡な女性である。
 実は私もうさぎさんと似たような経験がある。私はヤフー知恵袋の某カテゴリーで別の女性ユーザーと対立し、彼女に代わる新たな「アイドル」として擁立しようと、別のカテゴリーの女性有名人に近づいたが、全く相手にされなかったので、幸いうさぎさんのようなひどい目には遭わなかった。今の私はさすがに自らの愚かさを恥じている。

 さて、話は新劇場版エヴァに戻すが、もしかするとこのシリーズは「セルフカバー」並びに「セルフ二次創作」かもしれない。ならば、セルフパロディとしてレイとアスカがシンジのために料理をするという「あり得ない」展開があってもおかしくはないだろう。

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