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不肖「信頼出来ない語り手」明智紫苑の我楽多ブログです。主に自作小説とカスタマイズドールを扱いますが、エッセイもあります。

この蒼き天の向こうへ ―王欣太(原案・李學仁)『蒼天航路』―

2018-11-13 12:00:00 | 漫画・アニメ
 私が一番好きな漫画は永野護氏の『ファイブスター物語』(以下、FSS)である。中学時代に出会って以来、30年以上経つが、不動の一位である。しかし、FSSの次に好きな漫画、すなわち二番目に好きな漫画は時期ごとに変わっていった。
 例えば、藤島康介氏の代表作『ああっ女神さまっ』はFSSと同じく「運命の三女神」がヒロインである。FSSの三姉妹の名はギリシャ神話の運命の女神「モイラ」たちに由来するが、『女神さまっ』の三姉妹の名は北欧神話の運命の女神「ノルン」たちに由来する。もしかすると、これは元々FSSを意識して企画された漫画だったのかもしれない。しかし、実際にはFSSとは全く違う内容と魅力のある漫画である。
 私にとって、FSSとは漫画の面白さの判断基準となる作品である。つまり、私が漫画を読む際には常にFSSの影のもとにある。さらには、漫画だけではない。私が宮城谷昌光氏の小説の女性観や女性キャラクターたちを苦手とするようになったのは、FSSを彩る魅力的な女性キャラクターたちに惹かれるからである。永野氏曰く、「男にとって都合のいい女性キャラ」だけは避けたい。それによって、かえってこの漫画における「女性」の描き方は多彩になり、厚みが出来た。

 そこまでFSSにベタ惚れし続けている私が惚れたもう一つの傑作が、 李學仁 イ ハギン 氏が原案を書き、 王欣太 キング ゴンタ 氏が作画をした「ネオ三国志」漫画『蒼天航路』(講談社)である。これは『三国志演義』並びに「一般的な三国志観」においては悪役とされる魏王曹操を主人公とした、当時(90年代)としては画期的な作品である。ちなみに陳舜臣氏の小説『曹操』も大体同時期に執筆された作品だが、『蒼天航路』も陳氏の曹操小説も、『三国志演義』ではなく正史『三国志』並びに『後漢書』を土台にしている。
 私が好きな「FSS以外の」フィクションとは、たいていFSSにはないものを持っている。その最たるものこそが『蒼天航路』である。FSSが鋭利な刃物ならば、こちらは巨大な鉄槌である。この漫画の曹操は超人的な人物だが、それゆえに第三者目線から見れば「理解出来ない他者」そのものである。同じく「理解出来ない他者」として諸葛亮の怪しげなキャラクターが設定されているが、この諸葛亮は、曹操のみならず主君劉備の「噛ませ犬」でもある。『蒼天航路』のもう一人の主人公とは、他ならぬ田舎豪族の切れっ端のヤンキー兄ちゃん劉玄徳なのだ。
 曹操と諸葛亮は、それぞれ違う方向性でFSSのアマテラスのミカドのパロディのような人物である。それに対して、劉備は「地を這う人間」そのものである。しかし、『蒼天航路』の世界において最も「神」の名にふさわしい人物は関羽である。

 関羽は最終巻においては、曹操を差し置いて実質的な主人公となっている。すでに道教において「関帝」として神格化されている関羽だが、『蒼天航路』は彼をさらに高みに置く。そして、一般的には「元祟り神の財神」とされる関羽は、この漫画ではそれ以上の「神」となる。少なくとも、この漫画の関羽は「祟り神」となったとは思えない。
「幸福な夢を生きた」
 そして、新たな神は生まれた。

 私は昔、この漫画の単行本を集めていたが、途中で挫折して古本屋に売り払ってしまった。しかし、私は映画『花の詩女 ゴティックメード』のドリパスでの上映を見逃した腹いせとして、まんだらけ札幌店で『蒼天航路』の単行本全36巻をジャケ買いならぬヤケ買いをして、再読した。あの映画への未練を引きずりつつ読み続けたが、読み勧めていく内に、私は感動と気力を取り戻した。
 私がこの漫画を再読するまでに、FSSの次に好きな漫画は二転三転した。よしながふみ氏の『大奥』や野田サトル氏の『ゴールデンカムイ』がそれらだが、今回の再読により、『蒼天航路』は再び「FSSの次に好きな漫画」の地位に返り咲いた。私はそれに感動している。

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嫌いなキャラクターって誰だべ?

2018-11-08 12:00:00 | 漫画・アニメ
 私が好きな漫画は色々とあるが、最愛の漫画は言わずと知れた『ファイブスター物語』(以下、FSS)で、現時点での次点は『ゴールデンカムイ』(以下、金カム)である。この2作品、私が嫌いなキャラクターは少ない。FSSで嫌いな人物というと、やはり1巻の変態領主ユーバー・バラダ(しかし、その変態ぶりは金カム基準では(!)凡庸でつまらない)だが、他にはボード・ビュラードとマロリー・ハイアラキの母親スジャータ・ルース(世間体を気にする小人物で毒親)と、バッハトマのジョー・ジィッド・マトリア(傲慢で調子こいている腐れヤンキー野郎)がいる。
 同じバッハトマ所属の騎士でも、ケサギとカエシのコンビには金カムの変人敵キャラのような愛嬌があるが、ジィッドは実に憎たらしい。相方ニナリスへのモラハラ・パワハラは実に許しがたい。しかし、同じバッハトマ所属の巴さんは、昔は嫌いだったけど、今は悪役女性キャラクターの王道っぽいと思えるせいか、昔ほど嫌いではない。スジャータおばちゃまの嫌な女っぷりに上書きされて、巴さんの嫌な女っぷりが相対的に薄れてきたというかね。
 金カムの登場人物では、ハッキリ「大嫌い!」と言い切れるのは、茨戸の日泥組の女将と江渡貝弥作の母親(の亡霊)の猛女(?)二人くらいのものである。ハッキリ言って、FSSのスジャータおばちゃまよりもはるかに憎たらしいおばちゃんたちである。日泥ジュニアといい、江渡貝君といい、この毒親たちの呪縛から逃れられて良かった(江渡貝君は死んじゃったけど、鶴見中尉に自らの技術を認められて良かった)。

 …と、私が嫌いな漫画の登場人物を挙げてきたが、ひょっとして私は「毒親女」が嫌いなのか? よしながふみ氏の『大奥』の徳川治済なんて、まさしく「クイーン・オブ・毒親」じゃないか! 私自身の母親は毒親ではなかったが、その代わり、母方の伯母(母の実姉)が「代理毒親」だったのだな。伯母は悪人ではない、むしろ善人なのだが、時代の変化を認められない哀れな人だった。

 しかし、よくよく考えてみると、自分が好きな作品だからこそ、登場人物をひいき目に見てしまうから、点数をつけるのが甘くなるのかもしれない。登場人物のほとんどが嫌いな作品は、作品自体も嫌いな場合が多いか? しかし、これは漫画ではなく小説だが、桐野夏生氏の『グロテスク』は登場人物のほとんどを好きになれなくても、作品自体は好きだったりする。
 キャラクターの魅力を優先するだけでは、作品そのものの面白さは成り立たないだろう。私が何度となく批判している宮城谷昌光氏の『楽毅』なんて、良くも悪くも「キャラ萌え小説」なのにガッカリしたのね。主人公の周りが太鼓持ちだらけで、あたしゃ白けたよ。

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切る、斬る、Kill! ―榎本俊二『斬り介とジョニー四百九十九人斬り』―

2018-10-11 12:00:00 | 漫画・アニメ
 久しぶりに漫画の感想を書く。この『斬り介とジョニー四百九十九人斬り』(講談社)は、2010年のアフタヌーン誌7月号に掲載された榎本俊二氏の時代劇漫画だが、主役コンビがとにかく悪党どもを斬り殺すお話である。ストーリーは、悪党どもにさらわれた村娘の救助を村人たちに依頼された剣客コンビが、悪党どものアジトに乗り込んで、バッサバサと敵どもを斬りまくるというシンプルな内容である。
 タイトル通りに499人斬られているかは、あえて数えていないので分からないが、とにかく人が斬り殺される。剣客コンビのどちらが「斬り介」で、どちらが「ジョニー」なのかは、作品中名を呼ばれていないので分からないが、多分、若い方が斬り介で、ヒゲのおじさんがジョニーだろう。この二人が、まるで野菜のように、あるいは雑草のように、敵どもをとにかく斬りまくる。何となく『ドラゴンボール』のベジータのなりぞこないみたいな敵キャラが出てくるが、次のコマであっさり殺されてしまう。
 何だか、『ファイブスター物語』の騎士が地球に現れて大暴れするくらいの反則的な強さの主人公たちだが、剣の嵐によって、悪党どもの首が怒涛のように刎ねられまくる。終盤で巨人のボスキャラクターが出てくるが、主役1号はそいつもあっけなくやっつけてしまうが、主役2号は致命的なミスをやらかしてしまった。

 後書きによると、榎本氏は2007年にアフタヌーンの編集者にこの企画を持ち込んだが、他作品との兼ね合いの都合上、完成したのが2010年2月と、2年と6か月もかかったという。その血の滲むような努力の果てに、このような血なまぐさくスピーディーな作品が出来上がったが、仮に映像化するなら、10分くらいの短さになるだろう。

"Overkill - Elimination (Official Vídeo) [HD]" を YouTube で見る


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ヴィーナス・フランケンシュタイン ―岡崎京子『ヘルタースケルター』―

2018-08-09 12:00:00 | 漫画・アニメ
 精神科医の斎藤環氏は「男性は所有原理が強く、女性は関係原理が強い」と定義しているが、私が思うに、男性の所有原理を象徴するものは「能力」であり、女性の関係原理を象徴するものは「外見」である。いわゆる「コミュニケーション能力」の定義は人それぞれだが、女性にとっての一番の「コミュニケーション能力」は「外見」である。作家の中村うさぎ氏は「人間としての魅力と女としての魅力は違う」と定義したが、女性は人格ではなく外見によって「女としての魅力」の有無強弱を測られてしまう。女性にとって、外見とは自己主張のための武器であり、保身のための防具でもある。
 当然、不美人は不利だ。もちろん、美人が過大評価の果てに「見かけ倒し」扱いされる場合もあるが、不美人が「人間」としても「女」としても過小評価されるのはありがちな事態だ。そして、女性だけに限らず、人間の容姿とは他者との関係のためにある。同じ事は「名前」にも言えるが、セム系一神教(すなわち、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の総称である「アブラハムの宗教」)で唯一神の名前を呼んだり、偶像を作ったりするのが禁じられるのは、この神様が「男神」であり「唯一神」であるのを保つためである。すなわち、評価の基準としての「他者」である他の神々(もちろん、他の神との区別のための名前やイメージを持つ存在である)を排除するためのタブーだ。

 岡崎京子氏の最後の漫画『ヘルタースケルター』(祥伝社)は、まさしく「人造美女」の物語である。ヒロインである売れっ子ファッションモデル「りりこ」は、元醜女の全身整形美女だが、彼女の「創造」とメンテナンスはフランケンシュタインの怪物のようである。そんな彼女と所属事務所社長「ママ」並びに美容外科クリニックの女性院長との関係は、いわば同性間のピグマリオンコンプレックスだと思う。
 ママはりりこを通じて、若い頃の美しかった自分自身を再現する。そのりりこに直接手を下す院長は、自分自身ではなく、りりこを含めた同性の他者たちを「人造美女」「フランケンシュタインのヴィーナス」に作り変える。りりこを生きた女神の偶像に作り上げる二人の女性年長者たちは、世間一般の中高年女性たちが若い美女に嫉妬するのとは対照的だが、私が思うに、彼女たちは少女時代の人形遊びの延長として「人造美女」を生み出したのだ。ちょうど、私自身がドールカスタマイズという手段を通じて「人造美女」を生み出すように。
 ついでに、この漫画とは関係ないが、孔子と愛弟子顔回の関係も同性間のピグマリオンコンプレックスだったのかもしれない。孔子は他の弟子たちに発破をかけるために、あえて顔回を思い切りほめちぎったのかもしれないが、それは結果的に顔回をアーサー王伝説の聖杯の騎士ギャラハッドのような「人造美男」に仕立て上げる事になった。あるいは、孔子は顔回を通じて自分自身を「作り直そう」としたのかもしれない。光源氏に養育された紫の上が「人造美女」であるように、顔回は孔子が作り上げた「人造美男」なのだ。

 もし仮に『ヘルタースケルター』の男性版の物語を作るとすれば、それはおそらくは「能力主義神話」を描く事になるだろう。そして、そのようなテーマの傑作はすでにある。ダニエル・キイス氏の『アルジャーノンに花束を』だ。これは知的障害者の男性主人公が手術で天才的頭脳を得る物語だが、この話の女性版がたいてい「人造才女」ではなく「人造美女」なのは、「才女」よりも「美女」の方がより「女らしい」存在として価値があると見なされるからだろう。

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皮肉か、リスペクトか?

2018-07-06 12:00:00 | 漫画・アニメ
 日本が誇る国民的漫画の一つである『ドラえもん』には、いくつかのパロディ&リスペクト&フォロワー作品がある。その代表例が鳥山明氏の『Dr.スランプ』と江川達也氏の『まじかる☆タルるートくん』(以下、『タル』)だが、この二つは対照的な作品だ。

 私は『Dr.スランプ』からは本家に対する悪意など微塵も感じられなかったが、『タル』からは露骨に本家に対する悪意が感じられた。ドラえもんがのび太に対して「アドバイザー」として機能しているのに対して、幼児であるタルるートは本丸に対して「アドバイザー」として役に立たない。その代わり、本丸が他のジャンプ漫画主人公たちのように努力して強くなるが、それ自体が「ジャンプ漫画」そのものに対する当てこすりのように思える。
 ヒロインの伊代菜は言うまでもなくしずかちゃんのパロディだが、まだ小学生の女の子だというのにも関わらず、やたらとエロティックな描写をされている。成人女性でも抵抗感があるような大胆水着を母親に着せられるなんて、一種の性的虐待じゃないか!? 全く、文字通り「嫌らしい」わ。
 しかし、伊代菜の親友である女の子、 伊知川累 いじがわ るい の存在がこの漫画の最大の魅力にして存在意義ではないかと、私は思う。塁は名前通り「意地が悪い」キャラクターに描かれているが、彼女の意地悪さはあくまでも本丸ら異性のクラスメイトに向けられるものであり、同性に対しては別に態度は悪くない。そして、親友の伊代菜よりもはるかに魅力的な女性キャラクターである。そんな塁こそが『ドラえもん』のアンチテーゼとしての『タル』の一番の取り柄だ。

 さて、『ドラえもん』世界でしずかちゃんやジャイ子以外の小学生女子が(さらには、あの二人やドラミちゃんやのび太たちの母親たち以外のほとんどの女性キャラクターたちが)ほとんど単なる背景に過ぎないのは、しずかちゃん以外の女子たちがのび太の目線に入らないのも同然だからではないかと、私は思う。『ドラえもん』はあくまでものび太の目線の物語だ。多分、「のび太は浮気性の男ではない」のを示すために、しずかちゃんとジャイ子以外の小学生女子は「名前のない」存在にされているのだろう。それに対して『タル』で伊代菜以外の女性キャラクターが目立つのは、本丸のスケベさゆえではなかろうか?

《余談》
 個人的には江川達也氏個人は好きではない。本業をほったらかしにしてメディアに露出するようになった辺りから、私は江川氏を嫌いになった。同様に、荒俣宏氏も苦手になってしまった。『帝都物語』、好きだったのに、残念。
 ついでに「ホンマでっかテレビ」で某学者さんが出演するようになってしまったのもガッカリもんだったりする。あれって、血液型占いを盲信するような人たち向けの番組じゃないの? かつて私が尊敬していた元ブロ友さんとケンカ別れした理由の一つですらあるんだぞ、あの番組は。直接的な原因ではないが、私がその人に愛想をつかした遠因の一つではあるね。

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