京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURA の読書ノート 『人魚の眠る家』

2019年02月03日 | KIMURAの読書ノート

『人魚の眠る家』
東野圭吾 作 幻冬舎  2018年

裏表紙のあらすじは次のように書かれている。
「『娘の小学校受験が終わったら離婚する』。そう約束していた播磨和昌と薫子に突然の悲劇が届く。娘がプールで溺れた――。病院で彼等を待っていたのは、“おそらく脳死”という残酷な現実。いったんは受け入れた二人だったが、娘との別れの直前に翻意。医師も驚く方法で娘との生活を続けることを決意する。狂気とも言える薫子の愛に周囲は翻弄されていく。」

作者が推理小説の大家、東野圭吾でこのあらすじとくれば、この後の展開は狂気の薫子が脳死状態の娘と何かしらの事件に巻き込まれて、それが殺人事件へと発展し、犯人は実は…、そしてその理由は…と想像していたのだが、実際は終始「脳死(臓器提供)」に関する問題提起であった。

子どもの脳死(臓器提供)に関する法律に関して、次のようなセリフがある。「厳密には、臓器提供に同意しないかぎり、脳死したかどうかはわかりません。判定を行いませんから。判定しないから、医者は、おそらく、という言い方をします。おそらく脳死だ、というふうに。でもこの言い方では、親は踏ん切りがつきません。心臓が動いていて、血色もいいんです。我が子の死を認めたくないというのは、親なら当然です。だから法律を改めるべきなんです。医者が脳死の可能性が高いと判断したなら、さっさと判定すればいいんです。それで脳死だと断定できれば、その時点で死亡として、すべての治療を打ち切る。もし臓器提供の意志があるならばそのためだけに延命措置を取る――そう決めればいいんです。それなら親は諦めがつきます。臓器の提供者も増えるはずです」(p295)

作品の後半では薫子が警察を自宅に呼び、“おそらく脳死”とされる我が子に包丁を向けながら、次のように叫ぶ場面がある。「娘はおそらく脳死しているだろうといわれています。すでに死んでいる人間の胸に包丁を刺す――。それでもやはり殺人罪なのでしょうか」それに対して警察は正式に脳死と決まったわけではないのであれば、まだ生きているという前提で考えるべきで、殺人罪が適応されると応える。だが、薫子は言葉を続ける。「もし私たちが臓器提供に同意して、脳死判定テストをしていたなら、脳死と確定していたかもしれないんです。法的脳死の確定イコール死です。それでも娘の死を招いたのは私でしょうか。心臓を止めたのは私だったとしても、私たちの態度次第で、死はとうの昔に訪れていた可能性があるんです。それでも殺したのは私でしょうか。こういう場合、推定無罪という考え方が適用されるのではないですか」(p404、405)

現在日本国内では、自分自身が何らかの事故や病気により「脳死」になった場合、その後をどうしたいかという「臓器提供意思カード」というのが発行されており、それを所持により、意思が反映されるようになっている。しかし、15歳未満の子どもについては、本人の意思ではなく、親がそれを選択することになる。臓器を提供することで助かる命がある一方で、例え目が覚めることがないと理性では分かっていても心臓が動いているがために、もしかしたらという期待を持つのも親である。そして、自分ではない我が子の命の選択をその親がしなければならないという現実。更には現在の法律によってその選択をせざる得ない親が余計に追いつめられるという法の矛盾。当事者とならなければ、なかなか考えることができないこの問題を凝縮した1冊となっている。

本作品は昨秋、篠原涼子さん主演で映画化されている。彼女が苦悩に満ちた母親をどのように演じていたのか、今更ながらに興味を惹かれている。遅蒔きではあるが、今後テレビなどで放映が決まった際には、是非映像でも観て見たいと思う。

文責 木村綾子
この記事についてブログを書く
« KIMURA の読書ノート『ぷくぷ... | トップ | KIMURA の読書ノート 『世界... »
最新の画像もっと見る

KIMURAの読書ノート」カテゴリの最新記事