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昭和のプロレス:意外な接点

2023-10-13 06:29:59 | 日記
リーグ戦は惨敗

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では主役を盛り立てた脇役達を
振り返っています。
今週はニューヨークの帝王ブルーノ・サンマルチノを日米のマットで支えた
「番頭役のドン・デヌーチ」です。
 7回の来日の内5回は全日本プロレス。
だから必然的にジャイアント馬場との関りが濃くなり、ライバル団体
新日本プロレスの猪木とは希薄な関係
。でも探ってみたら猪木との意外な接点が浮かび上がりました。

 初来日は1968年の日本プロレス第10回ワールドリーグ。
星野や山本などの中堅には勝利したものの日本人主力には歯が立ちません。
4月21日に猪木と対戦しアバラ折にギブアップ、30日の馬場との一戦
では片エビ固めで敗退。
得点4は外人勢5番手の戦績でした。
 再来日は71年11月の日プロ、サンマルチノやドリーファンクJRが
登場したワールドチャンピオンシリーズでした。
 そして1年後、今度は馬場が興した全日の旗揚げシリーズにやってきます。

旗揚げシリーズに参加

 猪木の興した新日は無名選手しか招聘できず、外人勢の手薄がファンの
不興を買っていました。
それを受けて後発の全日は旗揚げシリーズにサンマルチノ以下ブラッシー、
テリーなどの豪華陣容を展開。
 その中にデヌーチもいましたが、このメンバーでは前座試合が定位置です。
前夜祭の第3試合で佐藤、開幕戦の第4試合でクツワダ、毎試合の様に若手
選手との対戦が続きます。
 このクラスには滅法強かったデヌーチですが、後半に組まれた中堅の杉山
と大熊とのシングル4戦は全敗。
 シリーズ16大会中14会場が前座試合でしたが、第5戦と13戦の2大会
ではメインに登場。
共にサンマルチノのタッグパートナーで役割は負け役。
192cm130kgの巨体で主役を盛り立てる職人芸が評価されたか、74年
から81年まで全日に出場を続けています。

 遡って64年の8月7日にはカリフォルニアで修行中の猪木と対戦しています。
その後68年と71年の日プロマットで試合を行いますが、それ以降に接点は無し。
 意外な関係が浮かんだのは王座の歴史でした。
北米地区で70年に新設されたNWF王座では71年12月8日にデヌーチ
が第3代王者に記録されています。
 それからちょうど2年が経った12月10日、パワーズを破って13代王者
に記録されたのが猪木でした。
 後に猪木の代名詞ともなるNWF王座の歴史に馬場派のデヌーチが顔を出して
いるのは意外な事実です。



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