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昭和のプロレス:キング・コングの終焉

2018-05-11 06:29:29 | 日記
超満員のファン

 力道山が空手チョップで金髪の外人レスラーをなぎ倒す姿に日本中が
熱狂しました。
終わりが無いかに思えたプロレス人気も、1950年代後半にはさすがに
陰りが見え始めました。
 そこでアイデアマンの力道山が考え出したのがワールド大リーグです。
世界中のトップレスラーを集めて覇を争ったのでした。

 毎週金曜日は「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」です。
あの頃は世界各国でプロレスが盛んでした。
当時の各国のチャンピオンを思い出して懐かしみましょう。
 今週登場するのは、シンガポール王者の「キング・コング」です。

 1959年、およそ60年前の5月21日、大阪府立体育館で力道山VS
キング・コングのリーグ公式戦が行われました。
コングはこの時点で3勝1敗1引き分け、リーグ戦のトップです。
 そのコングと力道山の対戦とあって、期待は大いに盛り上がり府立体育館
に15000人ものファンが押し寄せました。

役目を終えたコング

 コングが初めて日本のファンの前に姿を現したのは遡る事4年前、55年
の11月でした。
183cm、181kgの体躯は今で言えば大相撲の大奄美クラス、決して
規格外の巨体ではありません。
それでもその姿見たさにファンが集まりました。
 翌年には東南アジア遠征を行った力道山と、コングが持つ東洋ヘビー級
選手権を賭けての連戦が行われました。
2月4日の初戦は引き分け、7日はドクターストップで力の勝ち、11日と
12日の試合も力が勝利を納めました。(プロレス激闘史 より)
 こうして敵地で完全に決着がついたのでした。

 プロレスには筋書きがあります。
社長の力道山ならば勝った負けたは思いのままです。
リーグ戦を全勝で勝ち進む事もできますが、それではファンが興味を示しません。
 ましてや過去に仕留めてしまった相手では、何か仕掛けが必要です。
そこでコングをトップの成績にしたのです。
こうして迎えた一戦にファンは大いに注目して会場に足を運びました。
 大観衆を前にして流血の末に抑え込んだ力道山はマット上で勝利、同時
に興業でも大勝利を納めたのでした。
 役目を終えたコングにはもはやひのき舞台は用意されません。
残りの公式戦を全敗として外人勢の4番手の成績でリーグ戦を終えました。
そうなれば力道山との次なる戦いに誰も興味を示しません。
当然ながらその後の来日は途絶えたのでした。
コメント
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