国の特別史跡である吉野ヶ里遺跡は、背後地に脊振山麓前面には日本最大級の干満差で知られる有明海を望める。
弥生時代の約50haにも及ぶ環濠集落跡で、現在では歴史公園として整備されている。
縄文時代はそれほど人口も多くなかっただろうから、採取経済で生きていけたため争いが少なかったといわれてる。
稲の伝来で定着して暮らすことで、人口が増加しそれとともに争いが頻発したといわれる弥生時代。
吉野ヶ里遺跡の環濠や高い防護柵など、明らかに争いを前提とした造りになっている。
魏志倭人伝に現れる福岡市周辺にあったといわれる奴国等の古代都市も、このような造りになっていたに違いないのだが。
戦国時代の度重なる戦乱や、福岡城築城の際に壊された古墳の石が利用されたという話もある。
この地もかっては戦場となり多くの血が流されたと思うと、ただただ見上げる空の青さが目に沁み込んでくる。