寒い寒い。
お前の存在より寒くはないがな!
というケッサクギャグで場をしらけさせつつ、とある自主映画製作団体の上映会に行ってきました。
その団体とわれわれが何か接点があるのか、というと全くなく、ただ単にその劇場で『延示』を上映してみようかな、という下見の意味で斥候かましてきました。
さて、上映開始です。
内容は「いかにも。自主であります」といった低予算なものばかりを10本近く。
考えてみると、こうしてちゃんと劇場で自主映画観るの、初めてでした。なかなか面白いものでした。途中までは。
想像したとおり、ちょっと前衛的な手法を使っていたり、使っていたところでぜんぜん「効いて」なかったりと。まぁそれはご愛嬌。
そして最後の一本。
これが最悪でした。この団体の化けの皮がはがれました。
内容は「女子○生(ど素人)にビデオカメラ持たせて、自由に撮らせ、それを編集してつないだ」だけのものです。
これ、聞くと面白そうな感じはするのですが、観るともう最悪。
「キャッキャキャッキャ」と、こうるせぇ女の子達が、極めて自由奔放にカメラを動かします。
これをそこそこの大画面で観るとどうなるか。
素人さんでもわかりますよね?
もの凄い勢いで、酔います。
吹き出る脂汗。画面から目をそらし、うつむいても延々と聞こえる女の子の笑い声。これを20分近く。
途中、2度ほど吐きそうになって「ウッ」となったのですが、何とか下を向いてやり過ごしました。というわけで、三分の二くらいは全く観ていません。や、観れませんでした。
前の席の人は途中退場。上映終了後、近くにいた人も「酔った・・・」と。
ちなみに隣に座ってたコンちきもバリ酔い。「ルドヴィコ治療」という言葉を思い出しました。
これって、もう暴力に近いです。しかも、主催者側はこのことに全く気付いていなかったよう。監督さーん・・・・。
自主映画と呼ばれるものが一部の人々から忌み嫌われるのは「前衛的」な表現が多いからだと思います。でも、それは、それこそが「表現」であり「戦い」です。誇り高いものだと思います。
ただ、これをたいした知識やスキルもなしにいきなりやると、ただの「駄作」と呼ばれるものになってしまいます。
これは本当はたいへん卑怯なことだと思います。奇をてらった、卑しいやり方です。愚にもつかない、ばかげた表現。
単純に言えば、表現そのものが極めて珍しくても、なにも面白くはない、つまり感動がない、のです。作り手の「かっこうつけ」が如実に伝わってきます。
その「女子○生(ど素人)にビデオカメラ持たせて~」の映画はまったくそれです。
大画面で手ブレばりばりの映像を観ると、「酔う」ということを知らないというのは、本当に馬鹿にしすぎていて、ちょっとあきれるというか、怒りすら覚えます。
「表現とは何か?自分の表現とは?」そういうものが前衛的表現、いわゆるアバンギャルドな作品だと思います。
でも今回観たこれは、そういった精神を「オシャレ感覚」でなぞっただけの、まったく、観客を小馬鹿にした作品です。本当の意味で、お寒い。
わたしはアバンギャルドな手法を「異端者の剣」だと思っています。
通常では理解されない表現を持ち得た人々の武器。
相手を挑発し、凝り固まった「体制的な表現」に斬りつけるための崇高な武器。
これは一朝一夕で成せるものではありません。
自己の内部で葛藤し、のたうちまわるエネルギーの衝突。それらを修練し、よどみない純粋なエネルギーとして外部に放出する、戦うための表現。
それが「異端者の剣」です。
何か情けないです。
チープさをネタにした自主映画独特のコメディとかはけっこう好きなのですが、こういったかっこうつけ達の、「金のなさ」を言い訳にしたような一発ネタは、もう、うんざりです。
こういうことをすると自主はすたれていくと思います。
最近は簡単に映画が撮れるようになったので、誰でもカメラを回して「映画で~ス」と一丁上がってしまいますが、この感覚って、ちょっと危ないですよね。
「挑戦する」ってもっと気高いことだと思う。
お前の存在より寒くはないがな!
というケッサクギャグで場をしらけさせつつ、とある自主映画製作団体の上映会に行ってきました。
その団体とわれわれが何か接点があるのか、というと全くなく、ただ単にその劇場で『延示』を上映してみようかな、という下見の意味で斥候かましてきました。
さて、上映開始です。
内容は「いかにも。自主であります」といった低予算なものばかりを10本近く。
考えてみると、こうしてちゃんと劇場で自主映画観るの、初めてでした。なかなか面白いものでした。途中までは。
想像したとおり、ちょっと前衛的な手法を使っていたり、使っていたところでぜんぜん「効いて」なかったりと。まぁそれはご愛嬌。
そして最後の一本。
これが最悪でした。この団体の化けの皮がはがれました。
内容は「女子○生(ど素人)にビデオカメラ持たせて、自由に撮らせ、それを編集してつないだ」だけのものです。
これ、聞くと面白そうな感じはするのですが、観るともう最悪。
「キャッキャキャッキャ」と、こうるせぇ女の子達が、極めて自由奔放にカメラを動かします。
これをそこそこの大画面で観るとどうなるか。
素人さんでもわかりますよね?
もの凄い勢いで、酔います。
吹き出る脂汗。画面から目をそらし、うつむいても延々と聞こえる女の子の笑い声。これを20分近く。
途中、2度ほど吐きそうになって「ウッ」となったのですが、何とか下を向いてやり過ごしました。というわけで、三分の二くらいは全く観ていません。や、観れませんでした。
前の席の人は途中退場。上映終了後、近くにいた人も「酔った・・・」と。
ちなみに隣に座ってたコンちきもバリ酔い。「ルドヴィコ治療」という言葉を思い出しました。
これって、もう暴力に近いです。しかも、主催者側はこのことに全く気付いていなかったよう。監督さーん・・・・。
自主映画と呼ばれるものが一部の人々から忌み嫌われるのは「前衛的」な表現が多いからだと思います。でも、それは、それこそが「表現」であり「戦い」です。誇り高いものだと思います。
ただ、これをたいした知識やスキルもなしにいきなりやると、ただの「駄作」と呼ばれるものになってしまいます。
これは本当はたいへん卑怯なことだと思います。奇をてらった、卑しいやり方です。愚にもつかない、ばかげた表現。
単純に言えば、表現そのものが極めて珍しくても、なにも面白くはない、つまり感動がない、のです。作り手の「かっこうつけ」が如実に伝わってきます。
その「女子○生(ど素人)にビデオカメラ持たせて~」の映画はまったくそれです。
大画面で手ブレばりばりの映像を観ると、「酔う」ということを知らないというのは、本当に馬鹿にしすぎていて、ちょっとあきれるというか、怒りすら覚えます。
「表現とは何か?自分の表現とは?」そういうものが前衛的表現、いわゆるアバンギャルドな作品だと思います。
でも今回観たこれは、そういった精神を「オシャレ感覚」でなぞっただけの、まったく、観客を小馬鹿にした作品です。本当の意味で、お寒い。
わたしはアバンギャルドな手法を「異端者の剣」だと思っています。
通常では理解されない表現を持ち得た人々の武器。
相手を挑発し、凝り固まった「体制的な表現」に斬りつけるための崇高な武器。
これは一朝一夕で成せるものではありません。
自己の内部で葛藤し、のたうちまわるエネルギーの衝突。それらを修練し、よどみない純粋なエネルギーとして外部に放出する、戦うための表現。
それが「異端者の剣」です。
何か情けないです。
チープさをネタにした自主映画独特のコメディとかはけっこう好きなのですが、こういったかっこうつけ達の、「金のなさ」を言い訳にしたような一発ネタは、もう、うんざりです。
こういうことをすると自主はすたれていくと思います。
最近は簡単に映画が撮れるようになったので、誰でもカメラを回して「映画で~ス」と一丁上がってしまいますが、この感覚って、ちょっと危ないですよね。
「挑戦する」ってもっと気高いことだと思う。
悩みながら、とことんまで自分を高めながら、戦っていく。そんな感じだと思う。「剣」を持ってね^^
自分を追い詰めていくって感じかな・・・?激しい感情をコントロールするのは疲れるけど、その強い感情を、「つくってく」ということに変換していく作業だと思うし・・・。それが醍醐味だと思うしw
「延示」がますます見たくなってきました試写会は、東京なんですよね・・・
でも、ビデオ販売も、してらっしゃるんですよね??あ、うちビデオデッキがない・・・。
まぁ・・何とか^^;また来ます!!
そうなのですか!ちょいびっくり。
>自分を追い詰めていくって感じかな・・・?激しい感情をコントロールするのは疲れるけど、その強い感情を、「つくってく」ということに変換していく作業だと思うし・・・。それが醍醐味だと思うしw
そうですね。まったくそうです。
孤独な戦いだけど、エネルギーが燃えていくようで心地良かったりもします。
自分は制作もやっているので「妥協ってどの辺のことを言うんだ~」って自問自答の繰り返しでした。理論を先行させて映画が破綻しないように。
いやぁ、しかしびっくりしたなぁ。
お芝居やってらっしゃったんですか。いや、だったらなお更観てもらいたいですよ。
>でも、ビデオ販売も、してらっしゃるんですよね??あ、うちビデオデッキがない・・・。
DVDは発売します。パソコンで観れないですかね?こじかさんには驚きのショックプライスでご提供。
みたいな。
それなら見れるよ、だんなぁ!!イェイ!
あ、意外でしたか^^;芝居してたの。もうほんとにがんばってたんですけど、事情があって、できなくなってしまったとです。あの時はほんとに悲しかったとです。荒れましたとです。「できないぐらいやったら、ここで死んでやる!!」と思いつめたとです。
でも、大事なことを学びました・・・。だから、いつかまた、芝居をできるように、今がんばってます^^
て・ゆーか、赤目さん、こんばんみ。
出だしからわけのわからないボケをかましてごめんなさい。
>わたしはアバンギャルドな手法を「異端者の剣」だと思っています。
通常では理解されない表現を持ち得た人々の武器。
相手を挑発し、凝り固まった「体制的な表現」に斬りつけるための崇高な武器。
これは・・・・・・。
私を惑わせようとしているなと、はっきり分かりました。
鼻の奥がきゅうっと、熱くなりました、読んでいて。
んもぅ、赤目さんったら、罪作りなお人♪(←こじかさんのマネ☆・・・ムリポ?)
(以下より、私の独断&偏見的価値観↓)
私は、「生きる」ということは最終的に「表現」になりうるものだと、高校を卒業したあたりからずっと、今まで思い続けています。
ひとが、「生きる」ということ。
そのひとの、「生き方」というもの。
これが、表現になりうるのでは、と思っています。
そういうわけだから、生まれてくるその前から、人はそれぞれに唯一の遺伝子を持っていて、同一のものは地上に決して存在しないのではと見込んでいます。
ひとは、ひとを思わずにはいられないけれど、
相手の全てを(知りたくても)知ることはできないし、
時間とかで出来たもともとある溝をお互い「埋めたい!」と願っていても全部は埋まらないし、
ひとつにはなれない。
だけど、「つながったかな」と感じることのできる瞬間がある・・・ありますよね?
みんながそれぞれに違っていて・だからこそ孤独であるけど、それは寂しいということではなく、「つながった」と感じる喜びのはじまりなんだ、ということなのかな?
そういう意味では、みんながそれぞれに、”異端者”になりうる気がします。
自分らしさ、という剣。
そんなことを考えさせられました。
>「挑戦する」ってもっと気高いことだと思う。
キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
運命のひと!!!!
赤目さん、私を赤目さんのお嫁さんにしてください・・・。
三つ指立てて、ついていきますわ
て、嘘です。
=彼氏へ=
ごめんなさい・・・。
でも、マジで好きになりかけました。
変な意味じゃないですよ
では、また・・・。
(内容が大幅にずれてても、気にしなーい♪)
ありますとも~DVD。というより、VHS(ビデオ)では発売しない方向です。イェイ!!
そうですか。出来なくなってしまったのですか。
それは悲しかったことでしょうね。言葉では代弁できないくらいに。無念というか・・・・
>でも、大事なことを学びました・・・。だから、いつかまた、芝居をできるように、今がんばってます^^
大事なことを学べたのなら、きっとそれも次に演技をする時生きることでしょうね。微力ながら応援させていただきます!
そこまで思いつめたのなら、絶対またできますよ。
頑張れ!!
>私を惑わせようとしているなと、はっきり分かりました。
この記事、CHILDさんが読んでてくれたらなぁ、と思いながら書いてました。CHILDさんとこでコメントしたことと密接に繋がっています。
そしてCHILDさんのような人はそんな剣を持っているのではないか、と。
ちなみにわたしは今のところ持っていません。あこがれてはいます。
>んもぅ、赤目さんったら、罪作りなお人♪
また作っちまったよ、罪!(ノ∀`)
まったく、俺って奴ァ・・・どうしようもないモテっぷりだぜ!(出ました。想像力豊かな勘違い)
>ひとが、「生きる」ということ。
>そのひとの、「生き方」というもの。
>これが、表現になりうるのでは、と思っています。
うんうん。つまるところ人生の激化を自ら貫いていくのが生きること、であり、その表現だと思います。
サラリーマンだって、工場労働者だって誰にでも出来ますよね。
>みんながそれぞれに違っていて・だからこそ孤独であるけど、それは寂しいということではなく、「つながった」と感じる喜びのはじまりなんだ、ということなのかな?
「つながった」と感じたとき、すごく嬉しいですね。男女関係無く。その人の事を大事にしたい、と思う。心底「嫌われたくない!」って思う。
そう思うのは常に「孤独」を意識しているからなんだと思います。
>そういう意味では、みんながそれぞれに、”異端者”になりうる気がします。
>自分らしさ、という剣。
それは正にそのとおりだと思います。
でもその剣は、社会という「体制」に打ち付けられることによって、徐々に切れ味を無くします。やがては画一化された「型」に、これは、恐ろしいことに、自分から、自らの意思ではめ込もうとしてしまいます。
本当はもっと切れ味のある、面白い形をしていたのに・・・。
だからわたしは「大人になれ」みたいなことをいう奴は信用しません。そんなの、ただの欺瞞です。しかも自分への。
だからこそ、そういうこと(はめ込むこと)出来ない人は「それでもいい」って思います。分かりますよね?
>赤目さん、私を赤目さんのお嫁さんにしてください・・・。
>三つ指立てて、ついていきますわ
求婚、キタキタ━━━(゜∀゜≡゜∀゜)━━━!!!
>て、嘘です。
はい、毎度お馴染み(>Д<)ギャフソ!
いろいろ考えてくれてありがとうございます。
「独断&偏見的価値観」、同意できる部分が多々あります。
生きることが表現、って考えに至ったのは、わたしの場合二十歳を過ぎてからでしたが・・・・おせー!