今回の山形行きは、(財)地方公務員等ライフプラン協会というところからの要請で、山形県職員で定年退職を控えている皆さんにお話しをすることが仕事の旅でした。
皆さんにお話をした話の講義メモはウェブページに掲載してあります。
旅先では、早起きして早朝の散歩をします。
ホテルから南に向かって歩き出してすぐ、十日町で伝書鳩の専門店を見つけました。昔、前橋にもあったかな、記憶にないな…
看板の「向田」という店名の上の小さい字、「伝書鳩 飼料 器具」とあるのでっすが、鳩の字が不思議な形をしています。
お向いは、卓球場兼卓球用品専門店です。神明宮の近くにあったよね、こんな立派でなかったけれど…
十日町の裏路地、六角形の地蔵堂がありました。道内に掲げられた額を見たら、その名も「六角地蔵堂」でした。
八日町まで来たら、連子格子の素敵な建物、大きな蔵造りの建物が隣接してます。山形の「男山酒造」です。
「男山」という酒は全国各地にあります。山形の男山はその中でも有名です。
お向いは蔵づくりの商家、今は使われていないみたい、洋服屋かなんかだったみたいです。立派なつくりです。
八日町の裏通り、古い、大きなしもた屋がありました。間口にくらべてずいぶんと奥行きのある家です。左手の木戸から、細い土間で奥に抜けられるようになっていました。
近くの家庭菜園です。山形の人たちの生真面目さ、几帳面さを象徴する菜園です。左側、春菊、小松菜、その奥不明、中、ミズナ、チンゲン菜、その奥不明、右奥、2種確認不可能、で、8種の菜物がきれいに育てられています。
<あたしのトイレに何感心しているの、変なおじさん…>、赤い首輪の黒猫に不審者扱いを受けました。
路地の花は、どこのまちでもきれいです。山形でも、きれいな花にたくさん会いました。
お豆腐屋さんを探しながら歩いたのですが見つかりませんでした。あったら出来立ての豆乳を一杯よばれたいと思っていたのですが…、残念…
11日、上山から戻ってきて、こんなお店を見つけました。「本家 長門屋」さんです。
漆器の専門店、お話をお聞きしたら、山形特産の「権之助塗」という山形で作られている漆器を中心に、各地の漆器を扱っておられるのだそうです。
お店の名前をクリックして開いたページに、権之助塗の工程がのっています。
「朱播」という、赤漆を塗った上にベンガラの微粉末を蒔いて磨き上げる工程があるのが特徴なのだそうです。
渋い艶の朱色の漆器、なかなかなので、紅花を彫刻した八寸の四方皿を一枚、東京に暮らす姉に送りました。
長門屋さんの裏手の路地に、こんなお店を見つけました。その名も「灯蔵」、カフェです。
食べ物はいわゆる「自然食」、ヒゲクマはバターと卵を使っていないスコーンでビールをいただきました。
いろんなイベントもやるみたい、二階に若手の工芸作家の作品が展示販売されてました。
江戸切子の帯止めを、お小遣いをいただいた二代目へのお土産に買いました。
良いお店でした。
こんなして、歩いたり、自転車の乗ったりして、山形の町の路地をうろついてきました。
古いつくりの家がたくさん残っていました。
古いつくりの家を改装した建物、古いつくりによく似せて新しくつくられた建物もたくさんありました。
ハウジングメーカー(セキスイやダイワ等)の住宅は本当に少ないです。
住宅地の中に「石造明神鳥居」という古い石造の鳥居がぽつんとありまた。説明板を見たら、国の指定重要文化財でした。
前橋とは、ずいぶん違っていました。
山形紀行その5はここまで、まだ続編があります。
ウェブページ、「野村たかあき作 風神の子等雷神の子等 in高崎高等養護学校」がアップされています。ご覧ください。
「ヒゲおじさん厨房に入る」(朝日新聞群馬県版)、次回は、6月19日(土)掲載予定です。こんどは何にしようかな…
「病気したって、不良品呼ばわりされたって、決して死ぬなよ!」
これが同世代の人たちに一番伝えたいことなのです。この言葉が印象的。
まだブログにも記す気がおきませんが先日父が脳梗塞で倒れて半身麻痺に
言語障害があったのですが幸い倒れて3時間以内だったので
点滴治療で二週間程度で見た目も変わらず退院。そこから悩みました。
父も公務員退職後の延長で役職を頂いてましたが病状も何も話してない
のに急に不良品扱い。本人も家族も辞めたい時はそん時はこちらからと~
それが周りが無理だ無理だと言うから、まぁ~心臓も一度内科的な
治療してるし今回は転倒して怪我と隠していても急に不良品扱い。
本人が一番落ち込んでるみたい。そこでヒゲクマ師匠の言葉を思い出してたん
です。娘としての気持ちが微妙なとこで、、、
そのうちブログに記そうと思ってますが、、、
中高年の男には自死が多いのです。私の周りでも…。その理由の多くは、健康への不安、社会的役割の喪失感にあるといわれています。それで、私は、お念仏みたいに言うわけです。
まだうんと若かった頃、深夜の病院で当直医と二人で、母の胃洗浄をしていたことが昨日の出来事みたいです…、痛い記憶です。