橘さんのコメントに「今日は草取り止めた」と返事を書いたのですが、10時過ぎ気が変わってやることになりました。
麦ワラ帽子、手ぬぐい、バンダナと保冷剤を用意しました。
手ぬぐいは汗止め、保冷剤はバンダナで巻いて首の後ろに縛り付けます。これがヒゲクマ流熱中症予防策です。
お昼までの1時間半あまりで、ここまで草取りが進みました。草は刈り取るのではなく、すべて根っこを抜き取っています。
草をとったあとに、シオカラトンボの雌が遊びに来ました。水もないし、餌になる虫もいない気がするのですが…
立派なイモムシもいました。尻の突起を突き立てて威嚇しているつもりなのでしょうか、他所に逃がしてあげました。
草取り終えて戻ると、キキは冷房の効いた部屋の床でゴロゴロしていました。遊びに誘うポーズをするのですが、シャワーを浴びるのが先ですから無視です。
昼食を食べて休んでいたら、メイ・ハン・太の母ちゃんがカボチャを届けてくれました。自宅の生ゴミ捨て場に去年捨てたカボチャの種から発芽した1本が大きく成長して実をつけたんだそうです。キキが早速点検です。
これがメイ・ハン・太ん家の菜園のかぼちゃです。元気良いですね、めい・ハン・太は一日こういうところで遊んでいるんですね、だから蛇やネズミを捕まえるわけです。
まだ未熟でした。収穫が少し早すぎたようです。色が白っぽくて、実も柔らかく、甘さがまだ不十分です。でも、食べることはできます。
はい、ここでカボチャの収穫期、ちゃんと熟したかどうかを見分ける方法をお教えしましょう。
西洋カボチャは受粉から45日で収穫期を迎えます。生産者はコノ日数で収穫期を計ります。
いつ受粉したか分からないときは、見た目で決めます。
実のついているツルの葉が枯れ始めて、ツルと実を結ぶヘタの色が緑から茶色に変わり、ヘタに縦に割れ目が入り始めて触るとコルクみたいになっていれば、そのカボチャの実は立派に熟しています。収穫しましょう。
カボチャは未熟でも食べられるのですが、未熟だと甘味が少なく、ホクホクした食感でなくてネッチョリした食感です。
ですから、甘いのが嫌、ホクホクが苦手という人は、未熟なカボチャが向いているかもしれません。
未熟なカボチャは完熟カボチャと違って痛みます。ですからすぐに調理です。半分を皮を取り除いてゆで、裏ごししました。
こうして冷凍しておくと、スープにでもコロッケにでも、使いたいときすぐに使えます。
実は、今日の主役はもう決まってました。茨城産の新蓮根です。これで夕飯のおかずを作ることになっていました。カボチャと折り合いをつけてメニューができました。
蓮根の海老しんじょうのはさみ揚げと蓮根だんごです。はさみ揚げのほうにカボチャの素揚げを添えました。
カボチャの冷たいすり流し汁 とカボチャの煮物二種です。煮汁のないかぼちゃ煮は砂糖をたくさん使って甘く煮たもの、煮汁のあるのは出汁を使って甘さを抑えて煮たものです。
二代目もユキ子さんもカボチャ大好きなんで喜んでいましたよ。
メイ・ハン・太の母ちゃんさん、ありがとうございました。
今日の夕方の十六本橋です。端気川から上流方向を見ています。右側が十六本堰、向こうが十六本橋です。
戦国時代の天文8年(1539年)と12年に利根川が大氾濫を起こし、この2度の氾濫で流路が大きく変わりました。
関根から前橋の北部の南橘や北代田をながれ、東部の片貝から小屋原を抜け、伊勢崎の東部を経て境町に抜けていた本来の本流が、前橋の西部を抜ける今の流路に変わったのです。
このときに、前橋から伊勢崎にかけて大きな氾濫原が残りました。
この氾濫原を耕地とするために、北橘村の真壁から取水した用水が桃木堰、前橋の関根から取水したのが広瀬堰の始まりだといわれています。
ともに流路が変わった天文年間のことです。
これらの用水は、利根川の流路が変わったことによって自然にできた川を利用しています。
広瀬堰は前橋のまちを流れ、だいたい今の位置で広瀬川から端気川への分水が必要となり、ここに分水のための堰が設けられました。天文年間のことと伝えられています。
その堰は丸太16本が打ち込まれたものだったということです。
丸太の間隔は半間、ですから、7間半、13.5m幅の大きな堰だったのですね。
16本の丸太で作られた堰、それが16本堰の名前の由来だそうです。
ノブとツナさん、広桃両堰土地改良区の資料に基づくとこういうお話になりますよ。
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次回の「ヒゲおじさん厨房に入る」(朝日新聞群馬県版)は、9月4日(土曜日)の掲載予定です。テーマは梨に決めました。