たかさきシネマテークの茂木正男さんが逝った。
「見番でやった記者会見に、小栗さんと二人で歩いて来たのをよく覚えてるよ」
今朝の新聞を見ながら、ユキコさんが言う。
1985年のことだったと思う。
小栗康平の映画監督第二作『伽耶子のために』を前橋と高崎で自主上映することを発表する記者会見のときのことだ。
金もなかったので、前橋芸妓組合の見番の2階をただで借りてやった。
茂木正男さんは小栗康平監督と連れ立って現れた。
茂木正男さんと出会ったのはその3年前のことだ。
小栗康平監督の第一作『泥の川』のチケット売りを山本さんに頼まれて引き受けたときだ。
「佐藤君に会わせたい人がいるんだ」と山本さんが言う。
高崎の裏通りの飲み屋で会った。
茂木さんは、高崎のまちで『メーヴェ』という映画の自主上映グループをやっていた。
小栗康平監督の映画を何とかこのまちで上映したいという人たちに突き動かされて、自主上映の世界に足を突っ込んだ5年間、茂木さんとは頻繁に会っていた。
『高崎東宝』のレイト・ショー、毎日仕事を終えると高崎まで出向いていた。
高崎の飲み屋『三月兎』に初めて入ったのも茂木さんと一緒だったと思う。
10日ほど前、前橋の『きさく』で『三月兎』の店主、松岡明さんに偶然会った。
少しだけ、昔話をした。
『伽耶子のために』の自主上映が、茂木正男さんと一緒にした仕事の最初で最後だった。
この仕事を片付けて、私は、映画から離れた。
その後も、顔を合わせることはあった。
でも、一緒に仕事をしていたときのような通い合いはなかった。
茂木さんは、映画一筋になっていた。
初夏、群馬の森で茂木さんが採ってきたキノコを恐る恐る食べた。
場所は、『三月兎』だったろうか。
茂木さんは、キノコ採りの達人を自称していた。
食べ尽くして、何も起きなかった。
友人とは言わないけれど、一緒に仕事をし、酒を飲んだ。
忙しく、とにかく忙しく、全力で駆け抜けていった茂木正男さんに、喝采をおくろう。
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