週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#0072 -’19. 早朝に清水寺へ(その二)

2019年07月11日 07時59分43秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)
早朝での清水寺参拝でしたから写真に写っている人もほんの少しの方のみでした。
今回は本堂からです。
加筆しましたので一旦前にしてアップします。(20190711075943)

音羽山清水寺のHPからの引用です。
本堂
断崖に建つ木造建築
本堂から張り出した「舞台」の高さは約13メートル。これは4階建てのビルに相当します。本堂は音羽山の急峻な崖に建築されています。これは「懸造り(かけづくり)」と呼ばれる日本古来の伝統工法で、格子状に組まれた木材同士が支え合い建築が困難な崖などでも耐震性の高い構造をつくり上げることを可能にしています。舞台を支えているのは、床下に建てられた18本もの柱です。樹齢400年以上の欅を使い、大きいもので長さ約12メートル、周囲約2メートルを超える柱が整然と並んでいます。その縦横には何本もの貫が通されています。木材同士をたくみに組み合わせたこの構造は「継ぎ手」と呼ばれ、釘を1本も使用していません。現在の舞台は1633年に再建されたものです。歴史上、幾度もあった災害にも耐え、今も日々多くの参詣者で賑わう舞台を支え続けています。


音羽山清水寺のご本尊は「十一面千手観世音菩薩」です。
観音さまは、十一の表情と四十二の手で大きな慈悲をあらわし、人々を苦難から救うといわれています。
今回、国際的にも知名度が高く観光客も沢山参拝する本堂の十一面千手観世音菩薩の前で般若心経を唱える事が出来たのは何よりもの喜びです。
仏教に帰依している訳でも、自分自身死後に極楽浄土に行きたいと願っている訳でもありません。
ただ、心の中に沸き上がる微かな喜びでした。
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修繕が完了してから再訪してみたいものである。
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本堂の裏手にありましたが、未だ公開する時間前でしたのでお詣りせずに写真のみで通過しました。
縁結びの神様 地主神社です。
詳しくはこちらの地主神社のHPをご覧ください。
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本堂・清水の舞台を後にして地主神社の右手に長い階段を下りると音羽の滝に行けますが、そのまま進み奥の院に向かいました。
奥の院の手前の阿弥陀堂です。
HPからの引用です。
阿弥陀堂
江戸時代初期の1631年の再建。浄土宗の開祖・法然上人が日本で最初に常行念仏道場とした場所であることから、法然上人二十五霊場第十三番札所として多くの参拝者が訪れます。本尊は阿弥陀如来。入母屋造り、桟瓦葺の建築様式です。(重要文化財)

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奥の院です。
HPからの引用です。
>「音羽の瀧」の真上に建ち、現在の建物は、本堂と同時期の1633年に再建されました。2017年に修復が完了しました。本堂と同様の懸造りです。(重要文化財)
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こちらは奥の院ですが、上がりませんでした。
信仰の場と言う事ですから観光地ではありませんが、どこでも摩られて光り輝いてきています。
ふれ愛観音様です。
こちら奥の院でも触れられた跡が光り輝いています。
イタリアではこちらの胸を。
神戸、ミューヘンではイノシシの鼻を。
チェコのカレル橋のレリーフにも触れました。
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本堂の修繕工事の為にすっぽりとシートが掛けられています。
少し残念です。
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遠くに京都市内が見えます。
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最初に上って来た所の三重塔が遠くに見えます。
その先に京都市内です。
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本堂、舞台を支える支柱も工事しているようでした。
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先を急がずに折角の早朝での参拝で誰もいません、何か唱えればよかったと思う次第です。
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手前のふれ愛観音様が鎮座している所が奥の院で、その右手奥が阿弥陀堂です。
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清水の舞台から正面に見えていた子安塔です。
HPからの引用です。
子安塔
聖武天皇・光明皇后の祈願所と伝えられていますが詳しい創建年代は不明。現在の建物は1500年に建立されたものです。檜皮葺の三重塔の内部には、子安観音(千手観音)をお祀りし、その名の通り安産に大きな信仰を集めてきました。(重要文化財)

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子安塔の場所から本堂の方面を仰ぎ見ています。
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木立の間から。
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峠の我が家からの風景を見るにつけ思う事がある。
その考えは日本庭園の計算されつくした借景などとおなじである。
子の写真から何故そんな考えが浮かぶかと言えば、時の経過とともに木々は成長し風景を変えていく。
ここから見える仁王門・西門から始まり経堂に連なる一大スペクタクルの景色を遮り始めている風景。
木々の成長を人間の手が入っていると感じさせずにコントロールして最良の景観をたもちたいものである。
峠の我が家からの、北アルプス、車山、蓼科山、北八ヶ岳に連なる景色が木々の成長と共に見えなくなりつつある。
土地を購入した19年前と変わり峠の我が家周辺に木々が植林されてわけでもないのにである。
自然とは絶えず変化するものである。
日本庭園の借景に思うにつけ、人工ではあるがその人の手を感じさせない遠景の計算されつくした美を感じてしまう。
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本堂と清水の舞台を覆う何とも悲しい姿であるが致し方ない。
ヨーロッパの城や教会などで見た本来の景観をプリントした幕で覆ってもらうともう少し良いかも。
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お地蔵さんが祀られていました。
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本堂&音羽の滝に向かう道の脇にアジサイが咲いていました。
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三筋の水が流れ落ちる音羽の滝に到着です。
本堂脇の階段でダイレクトに下りてくることもできますが、奥の院そして子安塔を経由して下ってきました。
我が家が歩いてきた道は車いす対応しているようです。
TVなどで音羽の滝の映像を見ると沢山の方が並んでいますが、ご覧の通り無人です。
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音羽の滝の説明文を撮影したものですが、HPからも引用させて頂きます。
10. 音羽の瀧
清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となった瀧です。こんこんと流れ出る清水は古来「金色水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願します。

因みに、写真に写っている方の手はこちらに毎朝水を汲みに来る御仁です。
色々と説明してくれました。
まだ閉まっていた地主神社も入っても問題ないよとか通い詰めているなせる言葉でした。
この後、階段を上り地主神社前を通りましたが、そんなことはしませんでした。
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柱に摑まり直接ペットボトルに音羽の滝の水を汲んでいるこの方が先ほどの御仁です。
慣れたものです、下から直接入ってくると・・・・みたいのようです。
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清水の舞台の工事していないときの本来の姿がパネルに成っていました。
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眼前に見えますから、工事が終了した後に再訪する価値十分です。
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順路は右ですが人が居りませんので音羽の滝の所まで戻り最後の写真の階段を上って帰る事にしました。
早朝だからこそできるかも。
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木造ですから、定期的な修理など保守管理は欠かせません。
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この立派な石垣を見えるだけでも迫力です。
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正面右手が音羽の滝で、左手の階段を上る為に少しだけ戻ってきました。
東京の人間には音羽と言えば思い浮かぶのが、文京区の音羽町です。
講談社などがあり結構有名な地名です。
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本来の順路とは逆行しますが階段を上り清水の舞台を通り仁王門に戻り少し坂を下り始めた所でタクシーを捕まえて白河院に戻りました。
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