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#0136 -’19. 旧前田家本邸(重要文化財)洋館です。

2019年09月11日 21時26分07秒 | 街角
今回は、旧前田家本邸の洋館をアップします。

本邸の説明文は『重要文化財(建造物)旧前田家本邸』で見学時に頂いた小冊子から引用させて頂いたものが主なものです。
そのまま、引用させて頂いた文章は青字にしてあります。

前田家本邸のながれ。

前田家の邸宅
加賀藩前田家の江戸藩邸
 加賀前田藩は、尾張出身の戦国武将前田利家を藩祖とします。利家は織田信長、豊臣秀吉に仕えて能登、越中を領し、二代目利長は関ケ原の戦いで徳川方に加勢、徳川将軍家と姻戚関係を深めことで、「加賀百万石」と称される大藩を作り上げました。 
 江戸時代には参勤在府時の住居として江戸藩邸が設けられます。慶長10年(1605)、三代利常は徳川家康より和田倉門外の辰口(千代田区大手町1丁目)に屋敷地を賜ります。元和2~3年(1617~18)頃には本郷に屋敷地を拝領してそこを下屋敷とし、辰口邸を上屋敷と定めました。その後、幾度かの大火による罹災をへて、江戸中期には本郷邸(文京区本駒込7丁目)が上屋敷、駒込邸(文京区本駒込6丁目)が中屋敷、平尾邸(板橋区加賀1・2丁目、仲宿、板橋3・4丁目付近))が下屋敷になり、深川の蔵屋敷(江東区門前仲町付近)を含む四屋敷が明治に至るまでの加賀藩の江戸屋敷として存続しました。今も東京大学に残る赤門は上屋敷の御守殿門で、文政10年(1827)に第12代斉泰が第11代将軍徳川家斉の息女溶姫を正妻に向かえる際に造られたものです。


今回、駒場の地に訪問して見学した旧前田家本邸、西洋館の説明を小冊子から引用させて頂きます。
 旧前田家本邸、洋館。
旧前田家本邸は、旧加賀藩主前田家16代当主の侯爵前田利為候(1885~1942)の邸宅として昭和3年(1928)から昭和5年にかけえて建設されました。滞欧経験が豊富で駐英大使館附武官も務めた利為候は、「欧米諸国を歩いて常々残念に思うことは、わが国には外国からの貴賓を迎え得る邸宅がないということ」だと周囲に語っています。そのため、洋館は家族との生活のばであるとともに迎賓館としても利用できるよう、和館は外国からの賓客に日本文化を伝える空間として設計されました。四季折々の園遊会やパーディーの折に邸宅を訪れた人々は、田園の野趣が残る駒場の地に建つ英国風の重厚な洋館と瀟洒な和館のたたづまい、邸内を彩る外国製の調度品や前田家伝来の品々に目を見張ったと言います。
 昭和17年に太平洋戦争に出征していた利為候が戦死した後、邸宅は中島飛行機製作所の手に渡ります。戦後はアメリカ極東軍空軍司令部の官邸として連合軍に接収され、内装などに一部改変が加えられました。接収解放後は国と東京都の分割所有になり、現在は目黒区立駒場公園として敷地と和館は目黒区が、洋館は東京都が管理しています。 
 紆余曲折の歴史を経ながらも、華族の邸宅が広大な敷地とともにほぼそのままの形で残ったことにはとても珍しく、昭和初期の上流華族の生活をうかがい知ることができる貴重な文化財として、平成25年(2013)に国の重要文化財(建築物)に指定されました。



こちらの説明は、旧前田家の今回の本邸の西洋館ではありませんが、第二次世界大戦時の東京大空襲で焼失してしまいました本郷邸西洋館の説明文です。
旧前田家本邸・西洋館と本郷邸西洋館(懐徳館して焼失してしまった。)の理解いただければと思い、小冊子からそのまま引用させて頂きます。
 明治維新後、約10万坪あった上屋敷の大半は文部省用地(現東京大学本郷キャンパス)となり、約1万坪が前田家の屋敷地として残りました。
利為候は先代利嗣公の遺志を継ぎ、そこに天皇の行幸を仰ぐための迎賓館を新設します。明治40年(1907)に竣工した西洋館はルネッサンス様式の壮麗な館で、建築費約19.5万円(当時)に対し装飾費(絵画、家具、什器等)11万円と言う破格の規模でした。本郷邸西洋館は本邸の困売店に伴い、永久保存を条件に譲られ「懐徳館」と命名されましたが、惜しくも昭和20年(1945)3月の東京大空襲で焼失しました。庭園は往時の姿を留めます。

 写真の説明文には次のように記載されています。
東京大学の敷地内に残る本郷邸西洋館(昭和11年撮影)。地上4階建校舎に匹敵する規模であったことが分かります。
と、記載されています。
東大の校舎は文一とが法一とか、建物がありますが、一般的な現在の建築と異なり廊下で隣の教室に行くことが出来ません。
一旦、1階地上に降りてきて行くべき教室の入り口を上らねばなりませんし、1階1階の天井が高いですから、今の近代的な四階より高くなります。

旧前田家本邸・洋館です。

洋館の正面玄関前の車寄せのところですが、個人的な印象ではもう少し手を加えても良いかもと思った次第です。
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パルコニーの下は運転手が乗った車の後部座席に座った賓客が雨に濡れる事も無く車から乗り降りできる車寄せです。
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この何とも言えない重厚さです。
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大階段です。
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大食堂です。
晩餐会のお部屋で、最大26名の方のディナーを給仕できるそうです。
大理石のマントルピースがあり、周りには金唐紙で飾られているとの事です。
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使用されていた什器類が飾られています。
素敵なホテルですら、肉用ナイフ&フォークと魚用で使い分けていない所がありますた、勿論華族の邸宅ですから銀のカトラリー類だと思います。
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夫人のお部屋だそうです。
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華美にわたらないステンドグラスと照明です。
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侯爵の書斎(執務室)です。
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追加
向かって右手の奥様の肖像画が飾られています。
暗くてわからないかも。



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三女の居室、(夫人化粧室)
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2 コメント

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Unknown (katananke05)
2019-09-12 10:28:11
ここは前田家 本宅ですね〜
別邸が 鎌倉にあり
今は 「鎌倉文学館」となっていますが ちょっとめ
作りは似ていますね〜
当時の洋館は 色合いのせいか
鳩山さん宅も 印象が同じようです〜
ナンバー14は 何ですか?
楽器?
オルゴール?
鎌倉にもあります。 (原村)
2019-09-12 12:54:16
こんにちは、katananke05 さん。

いつも書きかけでアップしてしまい本当に失礼しました。
あれも書きたい、これも書きたいと気ばっかり焦り、写真構成が決まるとそれだけでアップしてしまいます。
14番は、楽器に用に見えますが、什器類(カトラリー類)を飾ってあります。
写真なので尚更分かり難くて大変失礼しました。

そう、そうなんです。
鎌倉に旧前田家の別邸の鎌倉文学館があるそうです。
未だ、行った事はありませんが、小冊子によると「施工は竹中工務店で、立地が面白く、・・・・館内に入ると眺望が一変します。ハーフティンバーにスパニッシュ風、さらに和風を加味した」そうです。
自分も今回の件でしりました。
歩きたい所は沢山あれど、実現できないのが現状です。
せめて、都内だけでも歩き回りたいです。

いつもコメントありがとうございます。

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