週末を原村で

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#0044 -’19. 昭和新撰江戸三十三観音 第14番神霊山慈眼寺金乗院

2019年06月18日 21時37分24秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)
昭和新撰江戸三十三観音は番外の海雲寺を含めて三十四カ寺です。
残すはあと三カ寺になりました。
一日にスタンプラリーの如く多くを回る事を止めて、ご近所などの都内の名所旧跡などを歩くのもいい機会と思い日にちが掛かってしまったいます。
今回の神霊山慈眼寺金乗院は別名目白不動とも称さらています。



頂いた資料には 真言宗豊山派 目白不動 東豊山 新長谷寺 金乗院 と記されておりました。

















丸橋忠弥の墓がありましたが名前は知っていましたが、どんな人物か思い浮かばすお参りすることも無くこちらを後にしました。
ウキペディアから丸橋忠弥の生涯を引用させていただきます。
出自に関しては諸説あり、長宗我部盛親の側室の子として生まれ、母の姓である丸橋を名乗ったとする説、上野国出身とする説(『望遠雑録』)、出羽国出身とする説など定かではない。なお、河竹黙阿弥の歌舞伎『樟紀流花見幕張』(慶安太平記)では、本名は「長宗我部盛澄」(ちょうそかべ もりずみ)と設定されている。
友人の世話で、江戸・御茶ノ水に宝蔵院流槍術の道場を開く。その後、由井正雪と出会い、その片腕として正雪の幕府転覆計画に加担する。しかし、一味に加わっていた奥村八左衛門が密告したため幕府に計画が露見。そのため捕縛され、磔にされて処刑された。
辞世の歌は「雲水の ゆくへも西の そらなれや 願ふかひある 道しるべせよ」。墓所は、東京都豊島区高田の金乗院、品川区妙蓮寺。
一説に新選組隊士で御陵衛士でもある篠原泰之進は、忠弥の血筋だという。

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