週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

§ 社会的資本の浪費

2009年11月17日 00時00分01秒 | たわごと(少し硬派に振って)
半年前から溜まっている嫌味の記事の放出です。
爽やかな原村からの記事ではありません。
いつもの嫌味な記事ですからスルーして頂ければ幸いです。


タイトルの「社会的資本の浪費」と言われても何の事か分からないかも。
タイトルですから、これからの内容を示唆する物が普通ですが。
今回は、何とタイトルを付ければ良いのか思い浮かびませんでした。
ピント来る語彙もフレーズも浮ばずです。
それで、言わんとする趣旨に関連しないかもしれませんが、自分の思うままにタイトルを付けてみました。
皆さんが、推測する物とこれから述べる事が大きく違っても、この事に関しては責任を負いかねますので、ご了承の程。

日本の道も昔に比べれば大変充実してきました。
歩道も綺麗なレンガや大理石(大理石なのかは正確にはわかりませんが。)など石材を使用したものまで多種多用になりました。

味も素っ気もないアスファルトやコンクリートから大きく変わり綺麗になったし、耐久性も増しました。
なのに日本の道の殆どの地下は共同溝ではありません。
その結果、計画性の無さと言うべきか、公共観念の欠如した企業体と言うべきか。
無計画に次から次と道路や歩道が掘り返されています。
そんな現状に対する不満を述べたいと思います。
また、何の事についてのくだらない戯言か分からずに此処まで引っ張られて来て仕舞った方は、ご苦労さまです。


今回の言わんとする内容は道路の補修です。

道路工事といっても、車道ではありません。
歩道ないし、歩行者専用道路での出来事です。

日本の社会は資産が蓄積しない構造であると言う人がいる。
壊しては造り壊しては造りで仕事を生み出して雇用を確保しているのでしょうか。
正に、こんな事がまかり通っていては、社会資本が蓄積していかないと思うのですが。
こんな事を思う自分が異端児なんでしょうか。
歩道を掘削してビルや個人宅に社会的インフラをめぐらす企業体は地方公共団体か一部の公共事業を担うガスや水道や電気や電話回線などの会社です。
その様な社会的に信頼ある企業が行う事とは思えません。

例えば本管からビルなどへの枝管の埋め変えなどでよく工事をしています。
本来壊したら元あった状態に修復するのが普通の人の常識ではないでしょうか。
なのに、修理の為とは言え意図的に歩道を壊しています。
破壊して取り除かねば修理は出来ませんから、壊す事は同意いたします。
でも、壊したら元の状態に復帰するのが大人たる社会の常識だと思うのですが。

綺麗に整備された大理石の道も、美しく敷き詰められた御影石の道もレンガの道もカッターで切られて掘削されます。
その後の補修は工事前の美しい道路と一変してモザイク模様のアスファルトです。
アスファルトで修復されますから、雨が降ってもヌカル事はありません。
十分に歩道としての機能は果たします。
でも、綺麗に敷き詰められた大理石の道は。
綺麗に敷き詰められたレンガの道は。
無残に破壊されたままです。
こんな理不尽な事が社会的に許されるのでしょうか。
敷き詰められた大理石やレンガを剥がしてから工事すれば、完了後同じ石材などを張る事で修復出来る筈です。
一部の部材の補給は勿論伴なうかもしれません。
剥がす時の壊れるレンガも大理石もあるかもしれませんから。
アスファルトで修復する事とレンガなど同じ部材で修復する事での工事費の増加が生じても社会的に認容出来る筈です。

声を大にして叫びたい!
社会的な経費が伴なっても、元のレンガの道に復帰せよ。
元の大理石の道に復帰せよ。



ある街の歩道の敷石が無残に破壊された後の画像を二つ。



こんな修復で良いのでしょうか。
また、そのことに何の疑問を抱かない人たちにも・・を覚えます。
コメント
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