気まぐれ日記☆着物の小部屋

2007年耳下腺癌の手術で顔が変わり、生活が一転。街歩きと着物と芝居のブログをどうぞ宜しく♪

阪神淡路大震災から21年   & 芝居・元禄港歌

2016-01-17 23:14:32 | 芝居

 1月17日は阪神淡路大震災から21年目にあたる日でした。

 

 特集番組はほとんどなく、唯一の番組、NHKスペシャル「震度7・都市直下地震何が生死を分けるのか」に引き込まれ、見入ってしまった。

今だから可能な、詳細なデータを積み重ね、分析した番組で、説得力があった。

 

 死者の中の5036人の検死書が残されており、そのデータから、死因、亡くなった時刻、場所を特定し、

かなりの方が、数時間は命を保っていたことが分かった。

けれど即死の方も多く、窒息という理由で亡くなる方も多かった。

これは体の損傷が少ないにもかかわらず、胸、みぞおち、腹が木材などで圧迫され、呼吸困難になり死に至るケースだ。

 更に保っていた命をなぜ救えなかったかについて追及し、

    〇火災の発生・・・・地震直後ではなく、数時間後の火災発生は 電力会社の記録と、消防庁のデーターを照らし合わせると

                通電火災という事実が浮かび上がってくる。

                地震後電気が復旧すると、崩壊した家の中の電気ストーブなどが点火してしまい、燃え広がる。

    〇交通渋滞・・・・・安否確認のための一般車両が大渋滞を起し、救助の消防車のゆく手を阻んだ。

               当時の航空写真を分析してみると、渋滞の先頭には道路に大きな段差ができていた。

 

結論として、①圧死や圧迫による窒息を防ぐよう、家の構造をととのえること。

        ②地震時に、家の電気を一時遮断する地震時通電遮断装置をブレーカーに取り付ける (とても簡単な装置、調べなくては!)

          自分の家からは火を出さないという事ですね。

        ③道路の緊急補修対策も考えられてはいるが、まだまだ。

          根本的な緊急時の交通対策はまだ全く手が付けられていない状態である。

 

 データの積み重ね明けでなく、当時の関係者の話や実験も交え、たった50分の番組だったけれど、内容が濃かった。

5036人のデータが、1人につき1行に納められ、延々と続くのを見ると、人の死があまりに簡単に奪われた大震災の不条理を

複雑な思いで考えてしまった。

 

ブログ新年会の事を書こうと思いましたが、直前に見たテレビがあまりに印象的で、これはまた次回。

 

 月曜日に気分が悪くなり、その後は家で大人しくしていた。

元文庫と、着物の友人との新年会をキャンセル、英語と太極拳もキャンセル。

ひたすら、土曜日のブログ新年会に備えて体力温存。

 

 けれど、木曜日、一つだけ舞台に出かけた。

チケットがもったいないし、見たい、絶対に見たい!!

厚着、腹巻、ホカロンといういでたちで、最短距離を歩き、最短時間でお出かけした。

それがこれ

           

行って良かった。

蜷川さんの芝居はかなり見ているのですが、泣けて泣けてというお芝居は初めて。

主人公達の、どうにもならない切なさが、しっとりと伝わります。

椿が降る舞台の美しい事と言ったら・・・・・

蜷川さんの椿はほかの舞台でも結構見ているので驚きはありませんが、猿之助、宮沢りえ、段田安則の名演が重なり、

椿の色も一層映えました。

 

 

 

 

               

 

コメント (6)
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