気まぐれ日記☆着物の小部屋

2007年耳下腺癌の手術で顔が変わり、生活が一転。街歩きと着物と芝居のブログをどうぞ宜しく♪

母と娘の ポルトガル古都巡り その3

2014-10-28 23:19:51 | 海外旅行

 ポルトガルに4日もいると、気になる事が2つ出てきました。

アズレージョを使った建物が多いのはなぜか?、そしてポルトガルの歴史。

では超簡単に解説 !

 

アズレージョ・・・・ポルトガルでは、教会、修道院、商店、個人住宅、どこでも見る事の出来る装飾タイル。

          14世紀、イスラムから、スペインに輸入され。ポルトガルで爆発的に普及するのは、16世紀初め。

          ポルトガル王エマヌエル1世がスペインを訪問した際に、当地の建物のタイルにいたく感激。

          大量に輸入されるようになる。 

          その後ポルトガルでも制作されるようになり、16世紀後半から教会、修道院で使用されるようになる。

          なぜこれほど愛されるようになったかは不明ですが、ポルトガル人は余程アズレージョが気に入ったようです。

            http://www.arukikata.co.jp/webmag/pt_amaz/focus_02.html

 

ポルトガルの歴史・・・・・古代、ローマ帝国の支配ののち、中世はゴート人、イスラム勢力に支配される。

               12世紀、ポルトガル王国成立。13世紀、ほぼ現在の領域が確定された。

               15,16世紀になると海外に発展、植民地を得て興勢を極めた。

               16世紀末、スペインと統合されたが、その後17世紀に独立を回復した。

 

               塩野七生「ローマ人の物語」によると、古代ローマ帝国は占領地を破壊することはせず、

               都市を整備し、水道橋の敷設をおこない、占領地をローマ帝国の味方として、育てていったそうです。

               そのローマ時代の遺跡が、ポルトガルには沢山残っています。

               行ってみて初めて、歴史の古い国だというのを実感 

 

 

13日 4日目 コインブラ

 コインブラは、リスボン、ポルトに次ぐ、ポルトガル第3の都市。

第3の都市と言っても人口10万人ぐらい、日本の都市の規模からいうとだいぶ小さいのですが、

ポルトガルの歴史の中で、多くの文化人や政治家を輩出したそうです。

1290年創設(初めはリスボンに設置、その後移転) のコインブラ大学は、

ヨーロッパでもっとも古い大学の一つで、世界遺産にも登録されています。

           

バスでコインブラ大学入り口に到着。

 

海外に行ったら、色々なものに乗る事にしている。

歩いても行く事ができるが、バスだとまた楽しい光景に出合う事ができそう

コインブラ大学に行くバスは、急角度の狭い坂道を精いっぱいの力で登って行った。

思わず、ずり落ちてしまうのかと不安に駆られる所もあり、面白かった

 

コインブラ大学

          

「鉄の門」  をくぐると旧大学になる (世界遺産)

ラテン回廊と時計塔。 時計塔は18世紀に作られ、ここのシンボル。

中央の黒いマント姿はコインブラ大学の学生。 学生の黒マント姿は昔から有名。

 

図書館入口

                

18世紀に建てられたジョアニア図書館。蔵書は30万冊。 (写真はネットから拝借)

豪華な金泥細工による内部の装飾も有名。

10分ごとの入れ替え制で見学できるが、なぜか見学者は私達は二人だけ。

豪華な10分間を過ごしました~~


奥の回廊では、現役の学生たちの授業が行われていた

世界遺産の校舎で学ぶ気持ちはどんなかしら?

一生の心の糧になるでしょうね。

 

 親カテドラル (大学の敷地の中にある)

  16世紀末から着工、完成まで100年余りかかった教会。

              

金に彩られた祭壇が見事

中庭。 写真を見て気が付いたが、アーチの下の円形の明かり取りが、すべて違う模様ですね。

 

 ランチは昨日行ったセント・クララ教会の隣の古いカフェで。

何もかも歴史がありそう

 

カステラにジャムが入っているお菓子も食べた。

娘は日本の鈴カステラのようだと言っていた。 確かに

            

テーブルは大理石。 椅子は革に彫刻し、頑丈な鋲を打った重厚な物。

何年物の椅子でしょうか?

 

午後は、ホテルの前の橋をバスで渡って川の向こうへ。17、18世紀に建てられた丘の上の修道院、

新サンタ・クララ修道院へ

コインブラの守護聖人である、イザベル王妃の棺がおさめられている。

13世紀のイザベル王妃は、慈悲深い王妃として民衆から慕われ、

夫であるディニス王に隠れて、宮殿から食べ物を持ち出し、施しをしたと言われている。

 

入場料を払うと、鍵をガチャリと開け、昔は誰も入れなかったイザベル王妃の棺の部屋に案内され、説明を受けた。

私と娘と説明のお兄さんの3人で、棺と対面。  少しドキドキした。

コインブラの街を見下ろす、イザベル王妃の像。

坂を降りる道は土砂降りの雨で、勢いよく水が流れていた。

丘を下って、旧サンタ・クララ修道院へ。

度重なる洪水で、この修道院は廃墟となり、新しく新サンタクララ修道院が建てられた。

この日は休業だったが、中にも入れるらしい。入って見たかった

 

ホテルの前に見えた橋をとぼとぼ歩き、やっとホテルにたどり着いた。

 

ずぶ濡れになった。

私は防水の靴とコートだったが、娘は靴がびしょびしょ。

ドライヤーで乾かした。

 

一息ついて散策開始 

ホテル近くのお菓子屋さん。

ポルトガルにはこんなお菓子屋が沢山あって、気楽にコーヒーとお菓子が楽しめる。

白くて大きい塊は、大きすぎて買って食べる勇気がなかった

餃子、春巻き状の物は、カステラとクリームが入っている・・・・と思う。

 

街中にエレベータがあるわ 2段構えになっていて、最初は垂直に昇り、乗り換えて斜めの坂を昇る。

坂の上からの風景。

 

ポルトガルの街には猫が沢山いる。

 

坂道駐車  後輪に注目  駐車違反ではなさそうよ。

 

アデガ・パソデ・コンデ で夕食

    

綺麗な店内。 炭焼き料理が有名らしい。 

大衆的なお店でとても気楽。

 

入り口が狭いのに、中に入ると、通りに面した部屋、テントを張った中庭、奥の部屋とあって、とても広い。

どこに行っていいか戸惑い、二人で呆然としていた。

しばらくすると、奥の方で宴会をしていたおじさんが(お客さん)が、わざわざ私達の所まで来て、

「どこに座ってもいいんだよ」 と教えてくれた。

とても親切です。 (お客さんが

適当に座ったけど、英語メニューもないし、英語通じないし、写真もないし、何を頼んでいいのか悪戦苦闘。

娘がスマホ辞書で鳥とか魚とか肉とか調べてくれたので、あとは勘を働かせて注文。

魚介類のクリームスープ、鳥のスープ。魚介類の雑炊、豚の串刺し。

店のおじさんはぶっきら棒だったが、私達がゆっくりゆっくり、料理を決めているのを見て、だんだん優しくなってきた。

 

私の頼んだグラスワインは縁までたっぷりと注いでくれた。

豚の串刺しは、こっちの方が美味しいよとメニューを指さしてくれた。

おススメの豚はいろいろな部位が入っているようでコクがあって美味しかった。

娘の頼んだ鳥のスープは、肉のほかに、ゼラチン状の粒が入っていた。

これは何かと、おじさんに聞くと、自分の顔を引っ張り、皮だと言っていた。ホントに皮?

あくる日、娘のお顔はプリップリッ・・・・確かに皮だったわ。

どの料理も、丁寧に作ってあって、美味しかった。満足

 

 

 

 

この日は 午前中は曇り、午後は大雨、そして夕方晴れ。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (4)
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