義兄の初盆法要に行ってきました。
葬儀に参列することが出来なかったので、ようやくお参りが叶い心の荷がおりたようで安堵しております。
義姉から生前の暮らしぶりや、壮絶な闘病生活の様子を聞くにつけ、高校教師として教え子から慕われ、社会慈善活動にも献身的に身を捧げ、家庭にあっては良き夫、三姉妹の父として、最後まで気高く生き抜いた姿に頭が下がる想いです。
趣味として長年にわたり制作し続けた“トイレットペーパーの芯”を活用した作品の数々。使い終えれば燃えるゴミとして捨てられる運命の「芯」に新たな命を吹き込み、当時姪っ子が西荻に出していた小さな茶店をアトリエ代わりに個展を開いた作品群が仏壇脇に遺品として飾られていました。
制作に当たっての拘りは“トイレットペーパーの芯”を、①鋏やカッターナイフ等で切らず、②糊や接着剤も一切使わず、③ペンチやニッパなどの器具も使わず、ただ手指で「握る、捻じる、潰す、曲げる」だけで表現するのだそうです。
中でも「像」の作品は、頭から耳、そして額から目や鼻にかけての凹みや捻じれ具合などが絶妙に表現されており、ため息がついてしまいます。
故人曰く『たかが トイレットペーパーの芯、されど........』だそうです。