幼少期から、絶対的な存在として君臨する母親の顔色を伺いながら、何をすれば叱られ、何をすれば褒められるのか、その反応だけを捉えて過ごすとしたら、それは萎縮しながら条件反射に身を委ね、成長期にあって思考停止の日々を送るという、人が生きる上でのある種の悲劇だ。
友人が貸してくれた小説、村上由佳の「放蕩記」を読んだ。母と娘の抑圧関係を巡る436頁に及ぶ長い物語。9割は著者自身の実体験だそうだ。この小説が賛否の議論を呼び、新聞や雑誌でもこうしたテーマが取り上げられるのをみると、秘められ続けてきたが実はメジャーな物語であることがわかる。
恐ろしいのは、個人から考える力を奪うということ。それは、たとえば上司と部下、国家の権力者と国民といった関係性にも起こりうる事態だが、親子関係で特殊なのは、そこに「愛情」問題が絡んでくるから。考える力を奪われ続けてきた子どもは、やがて親に憎しみを抱き、その「愛せない」状態に罪悪感を抱いたり、はたまた「やはりどこかで愛している」あるいは「その親に似ている」と感じる自分にもいらだちを覚え、生涯苦しみかねない。これは重い。
昭和の時代(と括っていいかわからないが)、ある程度教育や躾の現場では「頭ごなし」が今とは比較にならないくらい横行していたように思う。こういうテーマの物語が今なされるようになったのは、その揺り返しか。
最近、ピアノ指導者のレッスン取材にでかけると、「あなたがどう弾きたいか」を生徒自身に考えさせる指導が多い。80年代に私個人が受けたレッスン、および著名な大先生による70~80年代のレッスンの音声記録や文字資料の内容とは大違い。当時は手の形からフレージングから強弱から、事細かに全て指導者が「正解」を提示し、その通りに弾けなければ脱落、といった風潮だった。ピアノ指導一つとってもそういう時代の空気はあった。
(いわゆるお嬢様お坊ちゃまが多い?)音楽の道に進んだからかどうかはさておいても、私の身の回りには「母からの抑圧」の匂いが漂う人、あるいは苦しみをカミングアウトしている人、なんとか脱皮した経験者は少なくない気がする。「放蕩記」を読んで、あらためてそんなことを考えさせられた。
友人が貸してくれた小説、村上由佳の「放蕩記」を読んだ。母と娘の抑圧関係を巡る436頁に及ぶ長い物語。9割は著者自身の実体験だそうだ。この小説が賛否の議論を呼び、新聞や雑誌でもこうしたテーマが取り上げられるのをみると、秘められ続けてきたが実はメジャーな物語であることがわかる。
恐ろしいのは、個人から考える力を奪うということ。それは、たとえば上司と部下、国家の権力者と国民といった関係性にも起こりうる事態だが、親子関係で特殊なのは、そこに「愛情」問題が絡んでくるから。考える力を奪われ続けてきた子どもは、やがて親に憎しみを抱き、その「愛せない」状態に罪悪感を抱いたり、はたまた「やはりどこかで愛している」あるいは「その親に似ている」と感じる自分にもいらだちを覚え、生涯苦しみかねない。これは重い。
昭和の時代(と括っていいかわからないが)、ある程度教育や躾の現場では「頭ごなし」が今とは比較にならないくらい横行していたように思う。こういうテーマの物語が今なされるようになったのは、その揺り返しか。
最近、ピアノ指導者のレッスン取材にでかけると、「あなたがどう弾きたいか」を生徒自身に考えさせる指導が多い。80年代に私個人が受けたレッスン、および著名な大先生による70~80年代のレッスンの音声記録や文字資料の内容とは大違い。当時は手の形からフレージングから強弱から、事細かに全て指導者が「正解」を提示し、その通りに弾けなければ脱落、といった風潮だった。ピアノ指導一つとってもそういう時代の空気はあった。
(いわゆるお嬢様お坊ちゃまが多い?)音楽の道に進んだからかどうかはさておいても、私の身の回りには「母からの抑圧」の匂いが漂う人、あるいは苦しみをカミングアウトしている人、なんとか脱皮した経験者は少なくない気がする。「放蕩記」を読んで、あらためてそんなことを考えさせられた。
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「そこはあなたがどうしたいの?」といつも言われるので「ふーん、正解はないんだ!」と驚いた覚えがあります。
技術は拙くても「今の演奏にはいいたいことがあった」と言ってくださるので、よい先生にめぐりあったということなのでしょうか・・^^;
ほんと音楽の道ってオヤの「応援、と言う名の抑圧」?をすごく感じる時がありますね。次元は違いますが、キーシンとかアルゲリッチにもそんな匂いがするような・・
考える力を奪われているのか、そもそも放棄してしまっているのか、それは自問するとこわくなるような問題でもあります・・^^;
最近のピアノのお稽古の傾向は、子ども自身に「感じる力」「感がる力」を備えさせるツールとして音楽を使っている、という印象を受けます。生徒さんはみんな楽しそう。萎縮なんてしてない。
先日、端唄の先生が、「あなたはどうも正確に唄おうとしてる。もっと大胆に、自分の好きな所を、メリハリ付けて唄っていいんですよ」とおっしゃって、「好きな所?!」と焦ってしまいました。私も知らず知らず、「こうやらなきゃ不正解」の教育の恩恵にどっぷり浸かった世代の一人。いやはや、恐ろしいですね (~~)
逆にカウンセラーやコーチングの人は徹底して答をくれない
どちらも何か物足りない
自由でいたいけど、少しは包まれていたいのかも
ほどよく泳がせてくれるけど、知りたいことは教えてくれる。すてきなお姉さんが
そんなレッスンなら楽しそう
「徹底して答えをくれない」というのも、
それはそれで、私も違うなって思います。
作曲家の天野正道先生が、
音楽には時代様式ごとの「不文律」、つまり決まり事は、
きちっと教えなくちゃいけないのに、
いまや音大の授業でもそこが曖昧になっている、と
警鐘をならしておられました。
古典派の音楽を平気でロマン派っぽく演奏されちゃあ、
それはやっぱり困るわけで・・・
すてきなお姉さんのレッスンなら、私もうけた~~いw
古典派もロマン派もよくわかっていない私。
バッハとショパンてことにしました
ajskrimさんもすてきなお姉さん先生ですヨ