昭和・平成・令和・さわやかに老いる日々

朝元気に目覚め、食べたいものを食べ、行きたいところに行き、会いたい人に会えることに感謝です。

八十の手習い

2024-04-09 12:15:15 | 日記
           

八十の手習い(歳を取ってから始める)と言う意味ですが、私はパソコンを60歳過ぎてから学びましたので、六十の手習いでした。今80歳半ばになって、パソコンを習って居て良かったと思って居ります。

         

70代でガラケイをスマホに切り替え、80代になってからメルカリの仲間入り、今、日常の様々なことに興味や関心を持ち、いろんな感情が沸いて、頭を働かせ、家事にも生かされて居り、今心から「習うは一生」と思って居ります。

         
              我が家の或日の夕食

「六十にして耳順う」(人の話が素直に聞けるようになる)と言う諺もありますが、子どもを社会に送り出し、此れから自分自身の生きざまを構築する年齢になったことで、物事に理解が深まり、人生で一番充実する年齢になったと、当時のわたしは思いました。

         
               私の大切な市松人形

60歳になってから、奈良西ノ京に在る薬師寺に、毎月お写経をさせていただきに通って居りました。5年間でお写経60巻(毎月5年間)達成した事で、薬師寺の道場で、当時の高田好胤館長様に袈裟をかけていただきました。
         
         
                  薬師寺本堂

毎月の館長様の講話は、今でも私の生き方の勉強になって居ります。清濁併せ持つことで人は器が大きくなることも教わりました。御陰様で、般若心経は1週間で覚えることが出来、家でも折々の時、お仏壇の前で般若心経を詠んで居ります。

80半ばの高齢になって思ことは、自分自身、山を下ってる事を理解する事だと思えるようになりました。其の事を悲観するのではなく、今の年齢でしか味わえないことも在る事を日々感じて居ります。

先日、主人のジャケットの袖口の破れをミシンで繕いながら、私が子供の頃、母が服や靴下を手縫いして繕ってくれていたことを思い出し、もっと物を大切にしなくてはと反省しながら、終活もしないといけないし、何か矛盾してるな~と思いつつ、主人が気に入ってるジャケットがまた着れると、喜んでくれてる姿を見て、やれば出来ると何とも言えない充実感を味わって居ります。

             

八十(60)の手習い、此れからも体力知力気力を奮い立たせながら、まだまだ挑戦する事を忘れず、いろんな事に興味を持ち続けたいと思って居ります。今の私にとってパソコンは一石二鳥三鳥、ボケない為にも画面に向かって挑戦したいと思って居ります。

           

最近バスや電車に乗ると、若い皆さんが直ぐに席を譲って下さるので、その優しいお気持ちが嬉しく、歳を重ねればこそ感じることの出来る感謝の気持ちが、私の心を豊かにしてくれて居ります。

今日も一日笑顔で感謝して過ごせますように!!





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