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【会津野】イザベラバードの日本奥地紀行

2017年12月11日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

今日は、イザベラバードの「日本奥地紀行」のご案内をします。

この本は、1878年(明治11年)夏に、イギリス人女性旅行家イザベラバードが、東北から北海道をにかけ歩いて旅をした紀行文です。2年後の1880年に出版され、日本では1973年に高梨健吉により日本語に翻訳されたものが出版されています。

では、会津地方の部分を抜き出しましょう。

バードは、日光から山を越えて田島(現在の南会津町)に入りました。田島はたいそう美しい町だと記しています。水田の土手には、小豆が植えられており、勤勉な農作の様子もわかります。

大内宿に宿泊し、会津若松へ抜ける本街道から外れ、高田へ向け山を下りています。

山の麓の市川(現在の会津美里町旭地区)という集落では、男性優位社会の日本にもかかわらず、駅馬係や、宿屋の主、農業栽培などに女性の姿があり、女性が元気に働く姿が見てとれます。

高田に着くと、そこには大きな仏寺と商売が盛んに行われている様子が描かれます。

高田でもっとも目につくのは伊佐須美神社だと、宿主は思うものの、「金色のりっぱな仏寺」と記されているので、伊佐須美神社より修行僧がたくさんいたお寺の方が目に入ったのかもしれません。

商売については、絹や縄、人参の取引とあります。いまでは、布生地や荒物、人参の取引は、もうほとんど見られませんが、人々が集まる市が開かれていたことに、興味がそそります。

高田から坂下までは、5時間のつまらない行程だったと書いています。正直ですね。このあいだは街道っぽくないので、ただ歩くだけだったのでしょう。

大内宿から坂下までが1日の行程。山を越えた後の5時間の平場歩きです。かなり健脚ですね。

坂下からは1つ山を越え、片門(現在の会津坂下町)で阿賀川を越えます。片門には、船を繋いだ橋が架けられ、これがたいそうりっぱであったことが記されています。いまの方門には、新橋が架けられていて、旧橋の両端が町であったことがなんとなくわかります。

片門から束松峠を越すと、野沢(現在の西会津町)へ達します。さらに進み、野尻(ここも現在の西会津町)で宿をとります。

水田の谷間に位置する野尻は、美しい町だとあります。

バードは、山と水田のコントラストを美しいと想うようで、日本の原風景的なものを愛していたとも受け取れます。

そこから先は、新潟県の津川まで陸路で進み、そこからは水運で新潟まで下っていきます。

会津の陸路は3日半ほどの日程でしたが、「道」はどこも悪路で大変難儀した様子がうかがえます。

会津の人々は、戊辰の役(1868)後の貧しい様子と、大変珍しい外国人女性を一目見たくてたいそう押し寄せた様子が描かれているものの、大変礼儀正しく、物を盗まれたりすることは皆無だったともあります。

約140年前のリアリティと、現在のリアリティ。

自然環境と人々の様子は、さほど変わっていないと私は思う。ただ、信仰と商業は、空洞化してしまったとも思う。道は、悪路ではなくなったものの、人が歩かなくなった旧街道は、手の入れ方と活用方法に問題があると思う。

古い文章を読むというのも、良いものですね。

会津の旅をする前に、一読してみると、旅の幅が広がります。

今日も素晴らしい1日を過ごしましょう。

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